星方武侠アウトロースターとゼーガペイン〜量子力学が結ぶ8年越しの

Takaon2007-10-22

○はじめに
 書かねば始らず、書かねば伝わりませんので、取り敢えず書いてみますが、
「お前何言ってんの?」
と問われればおっしゃるとおりで、自分でも深い理解なしに書いています。

○1998年当時はカウボーイビバップに埋もれてしまったけれども、キラリと光るコミカルSFアニメ星方武侠アウトロースター
サンライズは1998年に似たようなSFアニメを発表します。一つはカウボーイビバップ、もう一つは星方武侠アウトロースター。2作品とも中国文化圏が標準になっており、賞金稼ぎが宇宙船で星から星へと旅をして、個性の強い仲間達とあれこれ騒動を起こすという共通点があります。
 カウボーイビバップはシリアスな作風でキャラクターのかっこよさや気の強さを演出して、アウトロースターは陽気で豪胆なジーン・スターウインドと人工生命体で存在の希薄なメルフィナとを主軸に話しが進みます。
 カウボーイビバップ知名度も高く、DVDも売れましたが、アウトロースターはアニメマニアなら知る人ぞ知るという浸透具合でした。本郷みつる監督自ら手がけたパースのかかった宇宙船の戦闘シーンは独特な作風で印象深いものでした。一方、SF設定がかなりマニアックで、XGP-15A2・アウトロースター号を制御するのは人工生命体のメルフィナと補助の人工知能のギリアムⅡ、操縦に当たるジーン・スターウインド、コンピューターサポートのジム・ホーキングといった具合です。人工知能のギリアムⅡは最速グラップラーシップとしての自尊心はありますが自らの存在に対する悩みもないのですが、メルフィナは最後まで自分の存在を問いつづけます。

ゼーガペインを育んだアウトロースター
 アウトロースターは終盤にマクドゥーガル兄弟の生体バックアップのようなものが出てきます。生命体のコピー設定は古くは宇宙海賊キャプテンハーロックに出てくる女王ラフレシアが演じています。ラフレシアは単純コピーですが、アウトロースターの場合は意識を移し変える器としての生体バックアップです。映画「マトリクス」のようなものでしょう。
 ゼーガペインは更に設定を進めて、量子コンピューター内部に生体データを含めた都市まるごとバックアップを実現しています。生命体を量子コンピューターに量子テレポーションし、データ状態にしたと言えます。
 量子コンピューターとは粒子「A」のスピンを「B」へ転送するという動作原理を用いたものです。量子テレポーテーションでは「相関のある状態の組」を測定して送信側から受信側に先んじて転送を行い、受信側がその情報に基づいて量子力学的操作をすることで初めて送られた状態が再現します。
「相関のある状態の組」を量子もつれ(りょうしもつれ、Quantum entanglement)と言います。
ゼーガペイン作中ではオケアノス(戦艦)やゼーガ(モビルスーツのようなもの)へのダウンロードする際に搭乗員は「エンタングル!」と叫ぶわけですが、これはクオンタム・エンタングルメントから来ているようです。
 アウトロースターでは量子力学的な説明はなく、物語の設定上「マクドゥーガル兄弟の生体バックアップ」が出てくるだけですが、この設定を極大化して再構築したものがゼーガペインと言えます。両作品共に原案者は伊東岳彦であり、赤毛ツンツンで前向きで奔放な性格主人公を据え、ヒロインは共に人工生命体で声優は川澄綾子を起用、そして新居昭乃の歌うオープニングやエンディングなどと共通点は2作品に数多く見られます。

○複雑なSF設定を盛り込んだゼーガペインが語るものとは?
 ゼーガペインは学校と戦場を相互に行き来するというスーパーロボットアニメ時代から営々と続く黄金律パターンを用いておりまして、SF設定について深く考えることなく見ることができます。学校をベースに物語を立てて行くのは、視聴者にSF設定の違和感を無くして見てもらうための標準スタイルです。
ゼーガペイン』の非公式ファンサイト
http://mania.sakura.ne.jp/zegapain/index.php?TopPage
↑を読んでみると、SF考証的には御都合主義なところもありますが、説明がされていなかったりする部分は解釈の余地があるので、侃々諤々の議論を呼んでいるようです。一つ一つを考証して製作者込めた意図をさぐっていくのも楽しいかもしれません。
 ゼーガペインとは「偉大なる痛み」を意味します。タイトルの通り、この作品は見ている者に痛みを強いるかもしれません。それは登場人物が作中で苦しむ様を見て、自分の辛い学校経験や失恋などのフィードバック作用をもたらし、更には胸元に鋭く自己存在について問われるからです。
 ゼーガペインの量子サーバーは5カ月ごとにループしますが、我々有機生命体は一期一会の限られた時と空間で、人と人がエンタングルしていることを痛切に感じさせるのです。
 私は若い人達にぜひともゼーガペインを見てもらって痛みを感じ、自己の存在を問うて欲しいと思います。人は究極には「我思う、ゆえに我あり」なのであって、痛みを感じることによって自分の存在を認識します。そして、「他者」と「私」、「意識」と「体」、全て一方だけでは成り立たちません。自分が存在することを確かめる、そして存在し続けるには、「他者」が必要なのです。ゼーガペイン作中にでてくる「色即是空空即是色」は、「物質は絶えず変化し実体がないのだから五感に拘わるな」という意味でありまして、量子力学でいう「粒子と波動の二重性」と同じ体を表すそうです。仏教では物質は空間を占め、意識は時間を占めるという思想でありまして、固定観念・先入観を排除し、「空の思想」によってさまざまな縁によって生かされ生きているという自己の存在に気づけということのようです。つまり、ゼーガペインは一見すると、ジュブナイルアニメーションでありながら、人の存在と認識を問いかける哲学映像作品でもあるのです。
 余談ですが、ゼーガペインの量子サーバーは千葉県の舞浜をシミュレートしていますが、奇しくも最終回放送日に東京駅の配電盤で故障が発生して舞浜の電車が止まりました。作品を注視していた人達は何か因縁めいたものを感じたようです。