2ちゃんねるはなぜ潰れないのでしょうか?


ひろゆきはなぜ逮捕されないのか
http://www.mynewsjapan.com/blog/masa/59/show
↑なかなか面白い記事が掲載されました記念(^^)/

○小渕政権は情報開示請求権を明文化しました。
 小渕政権は総務省付きサイバーポール弁護士達らとプロバイダー責任制限法を制定しました。当の小淵首相は携帯電話の使いすぎと思われる脳出血により亡くなられ法律施行を見ることはありませんでした。
 この場合、小淵首相と言うべきなのか、経世会哲学と言うべきなのか解りませんが、明らかに2ちゃんねる上における誹謗中傷の横行を抑止する意志が存在したのです。
 2ちゃんねるの運営主体はエロサーバー屋株式会社ゼロ中尾嘉宏でありますが、ダミー管理人として遠縁に当たる西村博之を立てていました。民事上のプロバイダー責任制限法に基づく開示開示請求は実質無視、刑事上の警察からの開示請求だけにはガサ入れを受けて対応するようになりました。西村は実際の住所地とは違うアパートに訴状が届くようにし、挙げ句に名誉毀損裁判への出廷そのものも行わなくなりました。
 これにより当座の危機は凌げるようになったわけです。当然ですが、株式会社ゼロ中尾嘉宏から西村博之へ利益供与が行われていると推定されるわけで、定期的に上京している中尾が「おみやげ」を手渡しているのでしょう。
 この度、西村が2ちゃんねるシンガポールの企業に譲渡した理由は中尾へのプレッシャーが強まって、対外的に「あっち向いてホイ」する必要に迫られたものと思われます。

2ちゃんねる批判はタブーだったのです。
 2ちゃんねる黎明期「インターネットは自由だー」と西村はよその掲示板を荒らして回ります。
2ちゃんねるによって日本社会が失った物
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/26818649.html
 その後、西村本人は前面には出てこなくなりましたが、2ちゃんねるから他掲示板への嫌がらせは続き、水越伸教授の提唱した「インターネットビオトープ論」とは真逆の、2ちゃんねるによる抑圧の時代になりました。
 本来は特定ジャンルの「大家」(オーソリティ)が自らの経験や職能に基づいて専門掲示板を運営するのが良いのです。最近はそういう掲示板やブログなども増えました。
 2001年頃からインターネット上のタブーの一つに「2ちゃんねる批判」がありました。インターネットは自由なのだから、横暴な2ちゃんねるを批判する自由もあるわけです。私にとって紆余曲折がありまして、「インターネットをする事=2ちゃんねる批判」となったのです。

○チーム世耕は存在したのでしょうか?
 朝日新聞にしても日経新聞にしても、西村博之みかじめ料を払えば、批判が収まると浅はかな考えがあったようです。しかし、西村本人は2ちゃんねるの管理は行っていませんので、全く無意味な献上行為だったのです。
 岸博幸-竹中平蔵あたりも西村の「権力」に期待したのかもしれません。実際のスレッド建てや削除、流れのコントロールは「削除人」などのボランティアによるものです。2ちゃんねるとは無関係で、別個に外部組織による誘導書き込みを行う、「チーム世耕」のようなものは存在したのでしょう
 2ちゃんねるが世論の形成にどの程度影響力があったのか判然としませんが、送り手受け手双方の『テレビ白痴』に対しては相乗効果をもたらしかもしれません。

○小泉暴政が予見できた2ちゃんねる問題
 普通に考えて、き○がいじみた誹謗中傷が横行する2ちゃんねるは百害あって一利なしなわけですが、コミュニティが形成されるとそれを肯定・死守しようとする人たちが現れるわけです。また、2ちゃんねるを批判すれば誹謗中傷により応報されますから、「普通の人」は黙っているわけです。
 サイレントマジョリティとは言い得て妙でございまして、横暴がまかり通る日本社会の素地は、人的劣化に起因する事なかれ主義を培地としているのです。
 チーム世耕なるものが、どの程度小泉暴政支えたのかわかりませんが、”そもそもが”2ちゃんねる問題すら抗しきれなかった弱々しい民意は小泉暴政に対抗するだけの胆力も威力も持ち得なかったのでしょう。
 私は左翼の末席にいるつもりですので、それなりの体験を得、理念に基づいて行動するすぐれた人物の謦咳に接することも、幾度かありましたが、それらの人々が輝いて見えるのは、劣化しつつある日本人の群像から浮き上がっているからなのでしょうね。

ひろゆき氏が著書で明かした、2ちゃんねる譲渡の真相
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=856941&media_id=32

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おかげさまで、反響がございました(^_^)