沖縄戰の集団自決は米軍によるサイパン島での虐殺行為が原因。

Takaon2014-07-05

 大変に恥ずかしいことではあるのだが、サイパン島での米軍による虐殺行為があったことを私は本日まで知らなかった。

 田中徳祐元陸軍大尉、飛行冒険家チャールズ・リンドバーグ氏、写真家ユージン・スミス氏による証言が存在する。
 
 米軍はサイパン島を占領した時に、子供や老人を虐殺し、婦女子は連れ去って強姦した後に虐殺した。

 米英帝国主義に対抗するために、日本は帝国主義を用いたが、天皇を頂点とする上意下達体制による能率の悪さによって敗北した。戦後、日本は平和貿易体制を通じて富を蓄積したが、米帝様による上意下達体制に組み込まれ、世界の戦乱に自ら関与せざるを得ない状況へ追い込まれつつある。


 渡嘉敷島慶留間島住民の集団自決は、沖縄からサイパン島への移民が多かったため、前年のサイパン島での虐殺行為を聞き及んでいたことに起因すると言われている。

 なぜ、沖縄にひめゆりの塔があるか、皆さんには深く考えて欲しい。
サイパン島での出来事をを伝え聞いた沖縄の女学生は、強姦される前に先に死んだのである。
大東亜戦争 ひめゆり部隊 沖縄戦 Himeyuri
https://www.youtube.com/watch?v=Vhg_SBGKgz8
若かりし頃の吉永小百合さんが出演している。

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サイパン島バンザイ・クリフの悲劇は米軍の強姦と虐殺が誘発した
 昭和19年7月、サイパン島陥落時に邦人男女が「万歳」を叫んで次々に断崖から海に身を投げて自殺したいわゆる“バンザイ・クリフ事件” 実は米軍による婦女暴行や虐殺が誘発した事件であったことが生々しい自殺説として『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著に綴られていた。彼は敗戦後もゲリラ活動で戦い通した元陸軍大尉である。
その手記の一部であるバンザイ・クリフ事件の項を紹介する。

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サイパン島「いまだにジャングル内に残っている日本の兵隊さん、住民に告ぐ。いまかけた歌は、なんと懐かしい歌ではありませんか。みなさんの幼い頃を思い返してください。一日も早く、平和な日が訪れるのを、故郷の父母が待っていることを忘れないでください」

 そしてさらに、「米軍は虐待しません。命が大切です。早く出てきてください」 投降を勧める放送は再三くり返された。

 我々はその放送を頭っから否定した。「そんな甘い手に我々がのると思うか」放送を耳にすればするほど、強い敵気心が湧いてきた。

 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。

 我々は、バナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして1000米くらい先に、上陸してすぐの3月20日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは米軍の砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。

 そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕われの身となった。 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。
 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。

 やがて、次のトラックも、次のトラックも走り出した。 絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかつていった。 ……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。
(この婦女子はその後、1人として生還しなかった)

 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴かあがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴・・・。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。

あの投降勧告はー体なんだったのか。常夏の大空をこがさんぱかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。

「おい、もうがまんならん。撃て」この状況をみていた私は叫んだ。同時に吉田軍曹が一発撃った。しかし、なんの効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。

 残虐な行為は凄絶をきわめた。火から逃れようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。

二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギヤッー!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。無気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。

 射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。

 恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊を弔うだけが精一杯だった。
 我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。

『我ら降伏せず サイパン玉砕の狂気と真実』田中徳祐著からの抜粋
我ら降伏せず ―サイパン玉砕戦の狂気と真実―
http://urx.nu/9Slc
我ら降伏せず―サイパン玉砕戦の狂気と真実 (1983年) [古書]
http://urx.nu/9Slf

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チャールズ・リンドバーグ著「孤高の鷹」
http://urx.nu/9Slg
「あれがパリの灯だ」で有名な飛行冒険家のリンドバーグの手記に載っていたが、日本兵の捕虜を飛行場に集め、ブルドーザで生きているまま踏み潰した話、たくさんの日本兵の捕虜を殺害し残飯捨て場に捨てた話、この写真のように日本兵の頭蓋骨をお土産に持って帰るのが流行った話おまけにまだ緑色した頭蓋骨(皮を剥いで間もない)を衣のう(軍隊の大型の袋)に入れていて飛行場で注意を受けた話、大たい骨を削って靴べらにするのが流行った話等

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ユージン・スミスが見た戦争
http://urx.nu/9SlZ
ユージンは、大きな傷を負った日本人の少女が
道に倒れているのを発見する。
アメリカ軍の病院につれていく為、その少女を抱きかかえ歩きはじめると、
アメリカ軍のトラックがそばを通りかかった。
ユージンは、病院まで乗せてくれるように頼むと
「このトラックに日本人をのせる余裕はない、お前だけなら乗せてやるので
その少女は、そのへんに捨ててしまえ」と言われる。
ユージンは、トラックには乗らず、14キロに及ぶ病院までの長い道のりを
けがを負った少女を抱きかかえつれていった。

「戦争は国と国との戦いで、個人と個人の憎しみあいでは、ないはずだ。
けがをした日本人をゴミのようにあつかっていいわけがない。」
ユージンは、日本人に対するアメリカ兵の態度に怒りを感じた。

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ユージン・スミスWiki
http://urx.nu/9Smk
1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の汚染の実態を写真に撮り、実際に座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。

1972年1月、千葉県五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団員に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う[2]。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表し、大きな反響を得た。

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 水俣とフクシマの類似点は多い。国家による人民への加虐行為は果てること無く続いている。
 福一事故が起きて不謹慎ながら「これで日本政府は原発事故収束や被災者救済で手一杯になり、対外的な軍事行動やそれに伴う法整備は行わないだろう」と、私は考えた。ところが、瓦礫拡散焼却、無駄除染、棄民政策、食べて被曝に併せて、集団的自衛権(米軍の軍事作戦肩代わり)行使容認ときた。


「タッポーチョ 太平洋の奇跡」米兵側から描かれた大場栄大尉のサイパン島での戦記があり、「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男」として映画化されている。大場栄大尉と田中徳祐大尉の隊は合流して、天羽少将の投降命令に1945年12月1日に従って戦闘を終結させた。
 田中徳祐氏の生々しい記述と違い、「太平洋の奇跡」はエンターテイメント性を重視していると言われている。私は米軍によるサイパン島での虐殺を隠蔽するための、宣撫工作の一環だと考えている。