ロシアがグルジアの南オセチア侵攻を安保理にかけて停戦を提案するも

Takaon2008-08-10


ロシアがグルジア南オセチア侵攻を国連安全保障理事会にかけて停戦を提案するも米英は拒否!
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/104508440.html
○米英は国連安保理停戦提案を拒否
グルジア南オセチアに侵攻し、ロシアは国連安保理にて
南オセチア問題で双方に武力行使放棄などを求めるロシア声明」
を提案するも、欧米は拒否しました。
『ロシアのチュルキン国連大使は協議後、「いくつかの理事国が『武力行使の放棄』という文言に消極的だった。遺憾なことだ」と直接の名指しは避けながらもグルジア側を支持する米欧に不満を表明した。』
 国連安保理で露の停戦条件を米英仏が蹴って決裂、グルジア軍による南オセチア侵攻に対してロシアが南オセチアに陸軍を出し、グルジアの拠点に空爆という展開になっています。

プーチン大統領は米英資本オルガリヒをロシアから追放しました。
 ロシアはオルガリヒというユダヤ新興財閥に「民営化」のお題目の下に国家資産企業を買い叩かれ乗っ取られてしまいました。それをプーチンがオルガリヒを追放して、エネルギー基幹産業を取り戻しました。
 国際的に繋がった米英メディア、ロイター・AP・UPIは一斉にプーチンは危険人物だと喧伝しています。米英イスラエル連合の統治下の日本もロシアは怖い国だと洗脳させられています。具体的には産経・日経・読売を通じてです。最近は朝日もアメリカのコントロール下にあるようです。
 朝日新聞グルジアの被害写真ばかり載せていますが、南オセチアの人口7万の内、4万が難民となってロシア領内の北オセチアに逃れている事も、きちんと報道すべきでしょう。また、プーチン大統領は「民族浄化は許さない」とも発言しています。

グルジアのサアカシュビリ大統領は米英資本の代理人
 グルジアのサアカシュビリ大統領は1994年、コロンビア大学で法学位(Law Degree)を取得。1995年、ジョージ・ワシントン大学より法学の博士号取得と、典型的なアメリカ帰り親米反露な人物です。平たく言えば牟田口廉也中将と竹中平蔵を足したような人物でしょう。
 ゴルバチョフ政権下で外相を努めたグルジア・シェワルナゼ大統領を2003年11月の総選挙で追放、2004年1月4日の大統領選挙を通じて、大統領に就任したようです。通称「バラ革命」です。「オレンジ革命」同様に米英の後押しによる反露クーデーターです。
 また、グルジアは米英に次いでイラク派兵数では3番目です。イラク戦争は石油強奪戦争ですから、グルジアも荷担していた、もしくはさせられていたのでしょう。
 サアカシュビリ大統領は2000人のイラク派兵員をすべて引き上げると発表しました。これは米英による支援を要請する揺さぶり、と見るのが穏当でしょう。
 今回の勝ち目の無い南オセチア侵攻についてはBBCに出演した識者によると
プーチン不在の2日間に攻撃すれば勝てると想定したのではないか?」
という見識でした。停戦提案を拒否した米英の内諾を得ての軍事行動であることは間違いないでしょう。

スターリンを産んだバクー油田
 米英がグルジアに深入りするのは、カスピ海バクー油田のパイプラインを黒海に通すためだと言われています。ですから、今回も米英石油強奪代理戦争なのです。
 バクー油田はノーベル兄弟が開発し、後にロスチャイルドやシェルが参入してきます。バクーの石油労働者の労働条件や生活条件は過酷で、その事が『カスピ海沿岸における革命の温床』となりロシア革命の発火点となっていきます。グルジア人だったスターリンバクー油田の労働運動を通じて革命家となっていきます。(注1)

○さ〜て、よ〜く考えましょう。
 日本はアメリカの度重なる理不尽な要求に屈してきたのは、パックスアメリカーナによる石油の安定供給が保障されたからでした。安全保障とは石油の安定供給と言い換えることができるでしょう。昨今の米英は強引な軍事侵略を行っております。結果として米英の軍事行動や米英資本投機によって石油の値段の上昇が見られます。この事は将来において、日本への石油供給が不安定化することを示唆しているとも言えます。
 戦後長い間かけ米英資本によって、日本は目茶苦茶にされてしまいました。いつまでも米英に盲従するのが良いのか真剣に考えるべきです。実の所、日本はロシアを応援する局面に際しているのかもしれませんね(^ー^)ノ

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グルジア紛争、時系列上の説明

○8月8日未明からの流れ
払暁、準備砲撃と共にグルジア自治南オセチアに侵攻開始

南オセチア民兵主体の軍事組織壊走、グルジア機甲師団投入

米露報道官がお互いを牽制

露の呼びかけで安保理緊急会議招集

決裂

グルジア、露軍機がグルジア領空に侵入し爆撃したと発表

グルジア機甲師団自治州州都に迫る

停戦監視団のロシア兵一名死亡

夜になりロシアが南オセチア機甲師団、航空部隊で介入開始。グルジア大統領はCNNで自国の正当性と支援を求める

南オセチア軍、首都ツヒンワリ南部の支配権を奪還

ロシア軍、南オセチア首都北部郊外を確保

グルジア国家総動員令を発令

ロシア軍戦車、南オセチア首都へ北から進出しつつあり

現地時間8月9日00:00(日本時間8日05:00時前後)
ロシア-グルジア間の民間用空路が閉鎖

南オセチア当局、首都を完全掌握したと発表。
グルジア軍は南部郊外の確保を模索中。

グルジアイラク派遣部隊を2000人(全員)の引き上げを発表

南オセチア紛争
http://wkp.fresheye.com/wikipedia/%e5%8d%97%e3%82%aa%e3%82%bb%e3%83%81%e3%82%a2%e7%b4%9b%e4%ba%89
↑から転載開始--
1989年11月23日 ズヴィアド・ガムサフルディアは、自分の支持者(3万〜6万人)を引き連れ、ツヒンワリで示威行進を行った。平和的な集会だと宣伝されたが、数百人の武装兵が随行し、負傷者400人、死者6人を出した。
1991年1月5日 ツヒンワリに警官隊とガムサフルディアの親衛隊が投入され、オセチア人に対する大規模な弾圧を始めた。オセチア人は、自警団を結成してこれに対抗し、ツヒンワリからグルジア人を追い出すことに成功した。
1992年7月14日 ロシア・グルジアオセチア混成の平和維持軍が導入され武装闘争は終結
1992年1月19日 南オセチア共和国の独立に関する住民投票が行われ、92%以上がこれに賛成した。
1992年2月 ツヒンワリ周辺にグルジアの砲兵と装甲車両が配備され、砲撃を開始した。
1992年3月8日 エドゥアルド・シェワルナゼグルジアの指導者となるも南オセチアへの政策は変わらなかった。
1992年6月24日 ロシア、グルジア、南北オセチア4者による紛争調停の原則に関する協定が署名される。
1992年7月14日 平和維持軍が導入された。
1993年11月2日 最高会議は憲法を採択。
1995年5月5日 国歌を制定。
1996年11月10日 南オセチア最初の大統領選挙が行われた。
2008年8月8日 グルジア軍が南オセチアに侵攻し、南オセチア民兵や平和維持軍として駐留していたロシア軍を攻撃。ロシア側も兵力を増強して反撃を開始し、両国は交戦状態に突入。
2008年8月9日 ロシア軍の反撃が本格化し、一時グルジア軍が制圧していた南オセチア自治州の州都ツヒンワリをロシア軍が解放。また、グルジア全土でロシア軍機による空爆が始まる。これに対してグルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は戒厳令を発令し、グルジア全土の「戦時状態」を宣言。

    • 転載終わり--

要約すると
1.グルジアソ連崩壊に際して独立した国。
2.ソ連時代にグルジアとして区分けされてた南オセチアグルジア領として残った。
3.近年のグルジアは露骨な親欧米路線で、EUNATOへの加入を求めている。
4.南オセチア自治州の住民はロシア復帰を望んでいる。
5.ロシア「民族自決の理屈を出すなら、南オセチアはロシアに復帰すべきだ」
6.欧米「そんな主張は認められない。グルジアの領土保全を支持する」
7.ロシアはグルジア政府要人を暗殺したり、ガス価格を大幅値上げしたりして牽制。
8.現在南オセチア自治州として半独立状態。ロシア国内には北オセチア共和国が存在。
9.南オセチア自治州の人口比率はオセチア人7割、グルジア人3割。
10.ついにグルジアが暴発。ロシアが全力で反撃しグルジア苦戦。死者、難民増加中。

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以下参考リンク等
(注1)バクー油田開発とノーベル
http://www9.ocn.ne.jp/~petro/bakunobel.htm

ハンプシャー大学教授: マイケル・クレア)
「今、アメリカがアフリカに関心を示す最大の理由は石油とみて間違いないでしょう。ペンタゴンもアフリカの戦略的重要性が高まったとしています。間違いなく石油のためです。しかし、アフリカはテロリストの拠点でもあります。
テロと石油という二つの要素が重なりアメリカが進出する要因となっているのです。こうした石油とテロリズムの組み合わせは多くの地域で見られます。南米のコロンビア、旧ソヴィエトのグルジア、石油とテロは世界の多くの場所で共に存在しているのです」

ミヘイル・サアカシュヴィリ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AA
『ところが開票されてみると、投票率88.97%、得票率96.27%[1]という、「民主的な選挙」としては驚異的な得票を得てサアカシュヴィリが圧勝する。サアカシュヴィリは同月25日、正式に大統領に就任した。』

南オセチア問題でのロシア声明案採択できず、国連安保理産經新聞
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080808/crm0808081851024-n1.htm
  【ニューヨーク=長戸雅子】国連安全保障理事会は7日、グルジア軍が
同国北部の親露分離派地域、南オセチア自治州への大規模攻撃に乗り出したことを受け、 緊急の非公開協議を開いた。ロシアは双方に武力行使放棄などを求める報道機関向け
声明案を配布、8日未明まで協議は続いたが、全理事国の合意を得られず声明を
出すことはできなかった。
 協議はロシアの要請で開催された。声明案は、南オセチアの状況に深刻な懸念を表明。 グルジア政府と南オセチア分離派政府双方に「流血の事態と武力行使を直ちに中止するよう要請する」とし、交渉に戻るよう呼びかけている。
 ロシアのチュルキン国連大使は協議後、「いくつかの理事国が『武力行使の放棄』という文言に消極的だった。遺憾なことだ」と直接の名指しは避けながらもグルジア側を支持する米欧に不満を表明した。