米軍機による原発を標的にした低空飛行訓練

 1988年6月25日佐田岬半島の北側斜面に、普天間基地沖縄県宜野湾市)所属のCH53Dヘリが激突した。伊方原発愛媛県伊方町)の真上を低空飛行して山の斜面に激突した。気体はバウンドして尾根の向こう側に落ちたが、手前に落ちていたら、伊方原発に深刻な影響を及ぼしたであろうと言われている。機体は広島の岩国基地から沖縄に向かう途中だった。

 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著P233に記載がある。情報源は2012年7月22日赤旗のスクープのようだ。

 オスプレイの訓練飛行ルートが設定されているが、実際にはルートや高度に制限が無いためどこでも飛行できる。

 伊方原発周辺では飛行事故が相次いている。オスプレイは、搭載能力不足と脆弱性のために、商売として頼みにしていた陸軍が採用しなかった。
http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=168
米国ではオスプレイの墜落事故が相次いでいる。そのオスプレイによって原子力発電所を標的にした訓練が行われた場合、より一層原発事故が現実味を帯びる。

 原発が電源を失ったり、物理的損壊によって、制御できなくなれば、放射能が漏洩し、対応に当たる人員には急性被曝症状により脳障害が発生する。状況次第によっては原発を放棄せざるを得ない事態も起こりうる。
 福島第一原発事故では、原発放棄直前までいった。福一事故に遺産があるとすれば、人類には全原発廃炉及び核燃からの撤退しかあり得ないという教訓である。

 米軍が破滅的事象を引き起こしかねない訓練を行う真意はどこにあるのか。様々な見方あるだろう。他国に対する攻撃を想定して訓練しているのは間違いない。米国にとっての他国とは「日本」も含まれる。そして、このような訓練の常態化は日本政府に対する最大級の圧力になっている。
 日本に主権が存在しないのは、日米安保条約に伴う統治行為論という法体系だけではなく、戦力による威嚇が行われている事も鑑みても明らかである。


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以下重要情報なので転載
赤旗記事
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2012-07-22/2012072201_01_1.html

伊方原発上空飛ぶ危険
オスプレイ 普天間〜岩国間で訓練
88年 間近に米ヘリ墜落

 原子力発電と、墜落事故が相次ぐ米海兵隊の垂直離着陸機オスプレイ。悪夢のような組み合わせが、現実になる危険があります。24年前には、伊方原発上空を飛行していた米海兵隊ヘリが、同原発から800メートル先に墜落するという事故も起こっていました。(竹下岳)
 伊方原発愛媛県伊方町)。×がCH53Dヘリの第1衝突点。その後、山頂を越えて反対側に飛び越えた
 1988年6月25日午前10時10分。視界20メートルの濃霧に包まれた佐田岬半島の北側斜面に、普天間基地沖縄県宜野湾市)所属のCH53Dヘリが激突しました。そこは伊方原発愛媛県伊方町)のほぼ真上でした。現場を歩くと、その「近さ」に慄然(りつぜん)としました。
 機体は強い衝撃で跳ね返り、山頂を越えて南側斜面を200メートルほどずりおちて大破。乗組員7人は全員死亡しました。
 「機体が跳ね返らなかったら、原発敷地内に落ちて大惨事になっていた」。現場に急行した日本共産党の中川悦良県議(当時)は、こう証言します。
 海兵隊は非常線を張り、中川さんたちも中に入ることはできませんでした。「これが日米安保の壁か、と感じました」
 この事故は過去の問題ではありません。佐田岬半島上空は沖縄と岩国基地山口県岩国市)を結ぶ「ルート」になっており、88年の事故後も、普天間基地に所属する海兵隊ヘリの不時着や目撃情報が相次いでいます。(表、愛媛民報社まとめ)
 米海兵隊オスプレイ普天間に配備した後、岩国基地に2〜3機からなる分遣隊を置き、10月以降にも毎月訓練を行う計画です。そうなれば、沖縄〜岩国間の往復や訓練などで伊方原発近辺を飛行するのは確実です。
 また、FA18戦闘攻撃機も九州方面から佐田岬半島を越えて岩国へ飛行する姿が何度か目撃されています。19日午前、曇天のため機影は確認できませんでしたが、記者も岩国方面へ抜けるジェット機の音を聞きました。
 原発の増設も続きました。88年当時、伊方原発の原子炉は1、2号機だけでしたが、現在は3号機が立地。しかも同機はウランとプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使用するプルサーマル運転を行ってきました。岩国基地に近い上関原発山口県)の建設計画も依然、続いています。
 「伊方等の原発をなくす愛媛県民連絡会」の和田宰代表幹事は、「原発は上空から目立つので、訓練の標的にされやすい。低高度でトラブルが発生したとき、安全に着陸できない欠陥機・オスプレイの配備は絶対に許されない」と訴えます。

伊方原発周辺の米軍機事故
 79年12月 保内町(現・伊方町) 保内中学校庭にAH1Jヘリ(普天間)2機不時着
 81年3月 保内町  保内中学校庭にAH1J(同)不時着。3日間駐機
 84年4月 三崎町(現・伊方町) AH1J(同)が建設会社敷地に不時着
 88年6月 CH53Dヘリ(同)が伊方原発至近に墜落。7人死亡
 89年6月 野村町(現・西予市) FA18戦闘攻撃機(岩国)が野村ダムに墜落
 00年4月 三崎町ムーンビーチ AH1Wヘリ(普天間)が不時着。僚機2機も着陸
 08年7月 MC130特殊作戦機(嘉手納)が八幡浜市などで超低空飛行
 12年3月 松山空港にCH53Eヘリ(普天間)4機が緊急着陸



再稼働もくろむ伊方原発 米軍機墜落の恐怖 東京新聞こちら特報部」26日
2013-07-28 12:13:19 | 社会
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013072602000171.html

原発上空を航空機が飛行することは厳しく制限されている。
万に一つも墜落事故が起こったら、取り返しのつかない大惨事になるためだ。
だが、例外もある。
日本の空を縦横無尽に飛んでいる米軍機だ。
新規制基準後の再稼働第一号と目される四国電力(四電)伊方3号機(愛媛県)の上空でも、目撃されている。
またも「想定」されていない最悪の事態とは。 (中山洋子)

 「やっぱり飛ばしてたんか」。地元紙「南海日日新聞」元記者の近藤誠さん(66)が絶句した。
 先月十九日の衆院経済産業委員会原子力関連施設の上空を米軍機が飛んでいるケースが二〇〇七年度以降、計七件確認されていたことが発覚。
その一つは、今年三月三十日に伊方原発の上空を飛んでいたからだ。
 指摘したのは、共産党塩川鉄也議員。
青森県東北電力東通原発日本原燃の核燃料再処理施設などから、防衛施設局にあった苦情のうち、六件が米軍機の飛行と確認された。
 これとは別に、四電が原子力規制庁に報告した航空機があった。
塩川議員が「これも米軍機ではないか」と追及すると、防衛省は「米軍に確認すると海軍所属のP3Cだったとの回答を得た」と答弁し、米軍機であることを認めた。
 一九九九年の日米両政府の合意で、在日米軍の航空機は学校や原発などの上空は極力飛ばないことになっている。
その約束がほごにされたばかりか、飛行情報が県や地元自治体に知らされることもなかった。
 とりわけ愛媛県では、八八年六月二十五日、米海軍の大型ヘリが、伊方2号機からわずか八百メートルのミカン畑に墜落する事故も起きている。
山口県岩国基地から沖縄県普天間飛行場へ移動中の事故で、乗員七人が全員死亡した。
「もし原発に墜落していたら」という恐怖を生々しく思い出す住民も少なくない。
当時、取材に当たった近藤さんも「あの時の事故に全く学んでいないのか」と怒りを抑えきれない。
 現場に駆けつけようとしたが、米軍と警察に阻まれ、取材もままならなかった。
「米軍が去るまで一カ月以上も、ミカン農家も国会議員も立ち入りできなかった。事故原因はおろか、死亡した米兵の名前すら公表されない。訓練の実態は政府さえ把握できていない」と、治外法権ぶりを振り返る。
 四電側の対応もにぶく、事故後の会見などで「格納容器のコンクリート壁は厚さ八十センチあり、そう簡単には壊れない」「上空に定期航路はない」と繰り返すのみ。
だが、実際には天井部の壁はそれよりずっと薄く脆弱。
佐田岬半島沿いには七二年から民間航路もあった。
近藤さんは「四電はうそをつき続けた。四電がやった対策はたった一つ。
原発の位置を示す夜間ライトをつけただけ。
かえって『夜間訓練の目印になるだけじゃないか』と不安視する声もある」と話す。
 実際、翌八九年にも愛媛県では米戦闘機が墜落する事故が起こっている。
不時着や目撃情報となると枚挙にいとまがない。
 というのも、四国上空は岩国基地普天間飛行場を結ぶ米軍機の飛行ルートに当たり、低空飛行訓練も行われているからだ。
徳島県南部から高知県北部を通り、愛媛県今治市付近から瀬戸内海を抜けて岩国基地に向かう訓練空路は「オレンジルート」と呼ばれる。
墜落の危険性が指摘される米新型輸送機オスプレイもたびたび目撃されている。
 九四年にやはり米軍機が墜落している高知県本山町では、オレンジルートの進入口付近に当たる徳島県海陽町と連携してオスプレイの飛行訓練の実態を調査している。
 本山町では、米軍機の低空飛行によるごう音が激しくなった九〇年から記録を続けており、多い年で三百回を超える飛来がある。
 今年も六月末までに六十三回の低空飛行が確認され、このうちオスプレイとみられる米軍機は五回。機体やプロペラの動きがはっきり確認できるほど低く飛んでいたこともあった。
 愛媛県でもオスプレイの目撃情報は相次いでいる。
これまでオレンジルートでの訓練と思われる飛行が七回あり、松山、新居浜西条市で計七十五件の目撃情報があった。
このほかにも、より原発に近い大洲市内子町などで六回十九件目撃されているという。
 オスプレイの低空飛行訓練が始まった今年三月、愛媛県は国を通して米軍に、原発上空などを飛行しないとする「日米合意の順守」を申し入れた。
 伊方原発上空を米軍機が飛んでいたのは、その直後のことだ。
 「結局、オスプレイ伊方原発上空を飛びよるかもしれない。これでは、いくら『飛ばさない』と言われてもとても信じられない」。伊方原発から約十キロの八幡浜市に住む「八幡浜原発から子どもを守る女の会」の斉間淳子さん(69)が憤る。
 原発の新規制基準では、航空機などが墜落した場合の対策として、冷却作業を遠隔操作する第二の制御室の設置が求められているが、五年間の猶予が認められている。
 四電は伊方3号機の再稼働に向けて安全審査の申請をした。
申請があった全国の六原発十二基のうち、伊方3号機が再稼働の条件が最も整っているとされる。
大きな津波は来ないとされているため、大がかりな防潮堤は必要ない。
事故時の対応拠点・免震重要棟の設置も済んでいる。敷地内の活断層も今のところ見つかっていない。
 だが、地震想定の甘さはたびたび指摘されているほか、事故が起こった場合の町民の避難計画もまだ策定されていない。
佐田岬半島に住む人々は海を越えて避難するしかないが、天候に左右されやすいヘリや船を利用するしかない。
 今月十六日にあった原子力規制委員会の安全審査会合では、四電の役員が伊方3号機の特徴を踏まえた安全対策を問われたのに答えられず、規制委側から「自分のプラントにどういう特徴があるのか答えられないのは問題だ」と指摘される場面もあった。
四電は、伊方3号機の燃料棒に付着物があったことを愛媛県に二カ月間報告せず、厳重注意を受けた。
 近藤さんは「福島原発事故を起こし、多くの避難者を出した国が、おざなりな安全審査で原発を再稼働させるようでは、どんな悪い冗談か。まして、その頭上では、米軍が好き勝手に訓練している。立地自治体の住民の命を軽んじ、不安もお構いなしの状況は、何一つ変わってはいない」と話した。

<デスクメモ>
 伊方原発の再稼働には、愛媛県の人たちだけでなく、海を挟んだ大分県山口県の人たちも大きな不安を感じている。
もし、事故が起きれば、放射能は海を渡ってくる。
良好な漁場として知られる豊後水道や瀬戸内海までが汚染されてしまう。
米軍機が墜落するはずがないなんて、信じられるわけがない。(国)

保安院、MOX燃料利用推進を優先し、津波対策に圧力

 政府が12月25日に公開した福島原発事故の調書によると、保安院が巨大津波の危険性を事故前から把握していたのに、津波対策を怠っていた事が分かった。

 東日本大震災直後に毎日新聞で記事になっている。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6623987.html
 岡村行信委員の提言を、東電は「十分な情報がない」と対策を先送りした、との記述がある。今回の調書で判明したのは保安院内部で、津波について圧力が存在したということである。
 しかも、MOX燃料の利用という国策推進を重視するために、地震津波対策を意図的に怠っていたことが分かった。

 ちょっと、分かりづらい。
私なりの解釈では、
MOX燃料導入で電力会社に地元行政との調整や、東電と保安院間での手続き等で手間をかけさせているので、更に津波対策を取らせるのは難しい、という判断を保安院が行った、ということなのだろうか。
 
 結局、MOX燃料使用手続きを巡って経産省・東電は福島県と対立し、検察特捜による佐藤栄佐久知事(当時)への国策捜査が行われ、佐藤知事は排除されMOX燃料は福島第一原発に導入された。

 3号機原子炉と3号機燃料プールに32束つづMOX燃料が装荷されていた、と言われている。(原子炉内燃料棒の3分の1はMOX燃料だったという見解もある。)

 結果として、津波対策は行われず、全電源喪失を招き、3月14日には3号機燃料プール核爆発及び、3月20日格納容器圧力急上昇(爆発)が起きた。
MOX燃料が事故を重篤化した可能性は高い。

津波について言えば、

明治三陸地震 1896年6月 M8.2~8.5 最大津波38.2m(遡上高)
昭和三陸地震 1933年3月 M8.1   最大津波28.7m(遡上高)
チリ地震津波 1960年5月 M9.5   三陸海岸6.4m
東日本大震災 2011年3月 M9.0 最大津波40.1m(遡上高)
Wikipediaより)
福島第一原発へ到来した津波は15m程度とされている。

と30年から50年間隔で東日本に襲来しており、869年の貞観地震を持ち出すまでもなく、地震対策は万全を期するべきだった。
また、日本の原発は費用低減のため排熱塔がない。これも津波による影響を大きくさせた。

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(参考
津波対策「関わるとクビ」 10年 保安院内部で圧力
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014122602000128.html

 保安院の小林勝・耐震安全審査室長の調書によると、二〇〇九年ごろから、東日本大震災と同じクラスの貞観地震(八六九年)の危険性が保安院内でも問題になっていた。独立行政法人産業技術総合研究所」の岡村行信活断層地震研究センター長は、貞観地震が福島第一周辺を襲った痕跡を指摘。自らの調書では「四百〜八百年周期で反復していると考えている」と述べた。
 岡村氏らの指摘を受け、小林室長らは貞観津波の再来リスクを検討するよう保安院幹部に提案したが、複数の幹部から一〇年に「あまり関わるとクビになるよ」「その件は原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことを言うな」とくぎを刺されたという。
 当時、国策で使用済み核燃料を再処理した混合酸化物(MOX)燃料の利用が推進されており、保安院の幹部の中には、地震津波対策より国策の推進を重視する体質があった。

津波対策を妨害した原子力安全・保安院の幹部に刑事罰
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-3254.html

津波検討「余計なことをするな」
保安院 上司から圧力
福島第1 政府事故調の調書公開
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-12-27/2014122714_02_1.html

福島原発事故の調書、最後の資料が公開へ!東電社長や会長は非公開!津波対策で「あまり関わるとクビになるよ」と保安院幹部発言
http://www.asyura2.com/14/genpatu41/msg/522.html

平成の関東軍「福島第一原発の保安院保安検査官はオフサイトセンターへ退避」

 原発が危機的状況に陥った場合、原子力災害対策特別措置法第3条にて、原子力事業者は原子力災害(原子力災害が生じる可能性を含む。)の拡大の防止等に関し、誠意をもって必要な措置を講ずる責務を有するとしている
http://jp.wsj.com/ed/pdf/111226_TEPCO/111226Honbun3Shou.pdf

 政府としては民間人の東電職員に原発を死守する命令は出せない。しかし、公務員である保安院の保安検査官は職務として、原発事故の最前線で情報を経産省へ送り続ける義務がある。
 しかし、保安検査官は避難してしまった。この件で誰も罰せられず、経産省保安院を取り潰して責任逃れを行った。

(1)経産省には原子力発電の規制官庁であり、原発甚大事故が起きた行政責任がある。
(2)事故対応判断を損ねる引き金を引きかねない人員撤退の過失責任。
(3)MOX燃料を使用させたことによる事故重篤化の責任がある。

(2)は分かりやすい事例だが、これとても責任を取ることが無かったという点において考えるに、日本では原子力・核燃全般の運用は無理なのである。官僚機構の無謬性というは単に責任を取らないから失敗した事にならない、という屁理屈に過ぎない。小学生の民主主義とはこの事だ。

(3)の証明は難しい。3つも原子炉燃料が溶融し、燃料プール冷却機能が失われた中で3号機が最も大きく損壊した。
他原子炉との比較から推測ができるに過ぎない。

(1)は津波対策、全電源喪失対策の不備において行政責任があるだろう。

メルトダウンした日本―船橋洋一氏インタビュー(上)
http://realtime.wsj.com/japan/2013/03/07/%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E2%80%95%E8%88%B9%E6%A9%8B%E6%B4%8B%E4%B8%80%E6%B0%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/
−−転載開始−−
14日夜9時半ぐらいから15日の昼にかけて、政府の職員たちをみんな逃がしている。その一方で、同じ頃、菅さんは東電に乗り込んで「お前ら、死ぬ覚悟でやってくれ」と言っている。
(略)
保安検査官の逃走というのは、一種の規制体制、規制レジームのメルトダウンだったと思います。
──米国もこの事実を聞いてびっくりしたとのことですね。
米国のNRC(原子力規制委員会)の2人に聞きましたが、2人ともびっくりしていて、「信じられない。アメリカだったら、完全に首だし、はっきり言って監獄行きだね」と言っていました。
米国の保安検査官というのは、家族と一緒になってプラントの近くに住むのです。家族の命もかかっているから、死に物狂いで安全を守るのだと言っていました。
−−引用終わり−−

ーー朝日新聞吉田調書からーー
原発には、原子力安全・保安院、今なら原子力規制庁に所属する原子力保安検査官が、常駐する制度になっている。
 東日本大地震発生時、福島第一原発内にも当然いて、地震後一時、免震重要棟に入っていた。だが、しばらくして南西5kmのところに福島オフサイトセンターが立ち上がると、そこへ移動した。
 2日後の3月13日午前6時48分、そのころオフサイトセンターに詰めていた東電原子力担当副社長の武藤栄が、吉田に、保安検査官が福島第一原発に戻ると連絡してきた。
 「保安院の保安検査官が、そちらに4名常駐をしますと。12時間交替で1時間ごとに原子炉水などプラントデータを、報告をするということになります」
 吉田は即座に「保安検査官対応!」と受け入れ態勢を整えるよう部下に指示した。
 保安検査官はその後しばらくしてやって来たが、3月14日夕方、2号機の状況が急激に悪化するとまたオフサイトセンターに帰ったとみられる。そして、15日朝、オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が原発から60km離れた福島市福島県庁)へ撤収すると、いっしょに行ってしまった。

 作業にあたる義務のない者が自発的に重要な作業をし、現場に来ることが定められていた役人が来なかった。
−−転載終わり−−

[改訂][続]吉田調書から学ぶ、「原発と人間」
http://blog.livedoor.jp/masawat1977/archives/51927465.html

東日本大震災】:福島第1原発事故 政府事故調の調書、・・・
http://blog.goo.ne.jp/adragonisflying12345/e/36edc7d0eac05cdd8c4fed30c07b2139
保安院の保安検査官が福島第1原発からオフサイトセンターに撤退した問題について、保安院職員は調書で、経産相の意向で検査官に現場に戻るよう指示があったにもかかわらず、一人の検査官が「現地に行ってもどうにもならない。なぜ行かなければならないのか」と反対したことを明らかにした。』