天皇制と南京大虐殺と国内貧困問題-遠からず日本国内貧困層は天皇制

Takaon2008-04-02

天皇制と南京大虐殺と国内貧困問題-遠からず日本国内貧困層天皇制と頂上決戦を迎えるでしょう-
In the Name of the Emperor 天皇の名のもとにー南京大虐殺の真実
http://jp.youtube.com/watch?v=OFGu7K_9cuU&feature=related
上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦王中将と南京大虐殺

    • 転載開始--

朝香宮中将、上海派遣軍司令官に(再掲)
http://blog.goo.ne.jp/1937-2007/e/602644c8b1a64d2b617191f0e956bc57
1937年12月2日付けで朝香宮鳩彦王中将が上海派遣軍の司令官となり、松井石根は中支那方面軍司令官専任となる。南京陥落後の敗残兵掃討が軍事的な必要性を越えて苛烈になった一因として、現場部隊の反対にもかかわらず入場式を17日とする予定に(松井大将が)こだわったこととあわせ、皇族の司令官に万一のことがあってはならないという意識があった、と研究者たちは指摘している。

    • 転載終わり--

「皇族の司令官の万一のことがあってはならないという意識があった」とは、つまり、上海派遣軍司令官朝香宮鳩彦王中将の南京入城を踏まえた虐殺(掃討)が行われたということです。皇族を護るためであれば、人民の命などは無価値であるということです。「天皇を絶対視する制度に起因した大虐殺行為」が南京で起きたのです。
 
○遠からず日本国内貧困層天皇制と頂上決戦を迎えるでしょう。
 過去に起きたことを取り消すことは出来ません。反省しても死んだ人の命は帰りません。しかし、南京大虐殺を省みる行為を踏まえて現在及び未来を見通すことは無駄ではありません。むしろ、現代日本社会を生きる我々に科せられた責務だと言えます。
 天皇及び皇族を絶対視するが故に発生した南京の悲劇は、欽定憲法下の天皇制の存在に基づき、その天皇制は日本国憲法下でも「強度の差こそあれども」続いています。
 今現在、日本は貿易収支はかろうじて黒字ですが、いずれ赤字に転落して、国内の富の再配分を巡って日本の有り方を巡って支配層と貧困層が激突する事態になると思われます。
 昨今の好景気は極端な事を言えば、「千代田区中央区・港区だけ好景気」でした。70年代は全国の地価が上昇し、80年代は「日本の国土の10分の1を占める」都市部の地価が上昇し、90年代は大都市の一部の地価が「下げ止まり」、2000年からは「日本の国土の100分1を占める」に過ぎない山手線内側の地価が上昇しました。
 迫りくる次時代はエネルギーや資材価格高騰及び、一部物資や機材の窮乏が目立つようになりなるでしょう。統治権力側は日本国内は国粋主義的な思想統率を強め、皇居と赤坂御所だけ「精神価値バブル」を起こすのではないでしょうか。
 昨今の東京一極景気に対して参議院選挙では地方は「No!」の投票行動にでました。迫りくる貧困社会において、天皇バブルで統率を取ろうとする統治の謀り事に対して、貧困層は激しい叛乱を持って酬いることになると思われます。

リンク等
南京事件の責任者だった皇族】上海派遣軍司令官 朝香宮鳩彦王中将
http://ch05028.kitaguni.tv/e85530.html
朝香宮と「南京大虐殺」 
http://www.geocities.jp/ahmadjan_aqsaqal/zatu/zt001209.html
「日本軍の軍紀」ー憲兵の認識
http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/kenpei.html
『「ザ・レイプ・オブ・南京」を読む』について(1)
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20071224/p2
朝香宮中将、上海派遣軍司令官に(再掲)
http://blog.goo.ne.jp/1937-2007/e/602644c8b1a64d2b617191f0e956bc57

    • 転載開始--

映画「ジョン・ラーベ」では南京事件は皇族の命令
Newsweek日本版2008.3.12号で映画「ジョン・ラーベ」を特集している
その映画の内容は南京事件を取り扱ったもので、その映画の中では、南京での日本軍による虐殺を命じたのが、皇族で昭和天皇の親族である朝香宮鳩彦王であることを報じている。
http://nwj-web.jp/contents/index.html

以下おっとっとさんの日記から
昭和51年の産経新聞蒋介石秘録)によると・・南京虐殺40万となっている・・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=761965063&owner_id=5690042
<映画>「靖国」上映、映画館が相次ぎ自粛
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=447814&media_id=2

1940/9/19「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍規振作対策」によれば、
「事変勃発以来ノ実情ニ徴スルニ赫々タル武勲ノ反面ニ掠奪、強姦、放火、 俘虜惨殺等皇軍タルノ本質ニ反スル幾多ノ犯行を生シ為ニ聖戦ニ対スル内外ノ 嫌悪反感ヲ招来シ・・」とあり、1937年7月〜1939年末までの1年5ヶ月での 強姦致死傷は732件とあります。日本軍において強姦は被害者の親告罪だったので、 実際はこの数倍から数十倍と思われます。
岡村寧次司令官は南京事件のあと、 親告罪だった陸軍刑法を改正し、戦後には日本陸軍の軍規について教育が悪かったと述べています(『政変昭和秘史』サンケイ新聞社)

歴史認識・・・・南京虐殺・・・犠牲者数8.26
南京大虐殺』 犠牲者数をめぐる議論

40万人 産経&蒋介石コンビ

30万人 高興祖(南京大学教授)、孫宅巍 (江蘇省社会科学院研究員)
侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館。(日本人学者該当者なし)
洞富雄 (早稲田大学教授)、藤原彰一橋大学教授)、吉田裕(一橋大学教授)、笠原十九司都留文科大学教授)

10万人 井上久士(駿河台大学教授)and so on


4万人 秦郁彦(現代史家・元日本大学教授)

1万人 畝本正己(元防衛大学校教授)、板倉由明(南京事件研究家)、原剛(防衛研究所調査員)、中村粲獨協大学教授)and so on

虐殺否定 渡部昇一上智大学名誉教授)、鈴木明(雑誌記者)、田中正明 (元拓殖大学講師)東中野修道亜細亜大学教授)


かくして産経は自身が掲げるスローガン「『ナンバーワン』よりも『オンリーワン』を目指す新聞」どころか、その両方を達成したのであった。
蒋介石秘録産経新聞掲載文 投稿日: 2006/01/15(日) 20:09:53

蒋介石秘録』12 日中全面戦争 
第一章 全面戦争に突入 その12 南京大虐殺の悲劇 P69−70

全世界を震え上がらせた蛮行
 日本軍はまず、撤退が間に合わなかった中国軍部隊を武装解除したあと、 長江(揚子江)岸に整列させ、これに機銃掃射を浴びせてみな殺しにした。
 虐殺の対象は軍隊だけでなく、一般の婦女子にも及んだ。金陵女子大学内に 設置された国際難民委員会の婦女収容所にいた七千余人の婦人が大型トラックで 運び出され、暴行のあと、殺害された。
 日本軍将校二人が、百人斬り、百五十人斬りを競い合ったというニュースが、 日本の新聞に大きく報道された。
 虐殺の手段もますます残酷になった。下半身を地中に埋め、軍用犬に 襲いかからせる‘犬食の刑’、鉄カギで舌を貫いて全身をつるしあげる ‘鯉釣り’、鉄製のベッドに縛りつけ、ベッドごと炭火の中に放りこむ 豚焼き’―など、考えられる限りの残忍な殺人方法が実行された。

こうした戦闘員・非戦闘員、老幼男女を問わない大量虐殺は2カ月に及んだ。
犠牲者は三十万人とも四十万人ともいわれ、いまだにその実数がつかみえないほどである。


蒋介石秘録12 日中全面戦争 著者サンケイ新聞社 発行所サンケイ出版 
昭和51年6月11日〜7月31日まで2年間に渡り『産経新聞に連載された分』を収録

「正論」昭和56年12月号
蒋経国中華民国総統蒋介石の長男)と鹿内信隆サンケイ新聞社長)との対談

鹿内

私はそういうことの一助にもと思いまして、サンケイ新聞で「蒋介石秘録」という ものを二年半にわたって連載したのです。その蒋介石秘録の単行本は全十五冊に なったのですが、これを日本の若い人々、将来の人たちのために、中華民国の ご恩を忘れないように残しておきたいと考え、秘録を中心にして、箱根に中正堂をつくりました。いま閣下がいわれたように、日本の若い人にそのことを残したい と思ってやったことなんです。
http://www.geocities.jp/s19171107/DIARY/MATERIAL/HTML/NANKIN/2ch-40manninsetu.sankei.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=542342634&owner_id=5690042

靖国神社新興宗教・・靖国神社の歴史は130年前、戊辰(ぼしん)戦争が北海道函館の五稜郭開城で幕を開けてから1カ月後の明治2(1869)年6月、東京招魂社が創建されたことに始まる。
……
>なぜ「神社」となったのか。国学院大学の阪本是丸教授(近代神道史)によると、最大の要因は「神官設置問題」であった。陸軍省によって「社格」などは念頭外で、ただ「神官を置いて神社らしくしたい」と願っただけだという(阪本『国家神道形成過程の研究』)。それ以前は正式な神社ではなかったから、神官も置かれず、財政困難を強いられていたらしい。

靖国神社を所轄していた陸軍省にとっては神道の魂鎮(たましずめ)の伝統を持ちこまれては、迷惑千万といったところだろう。
http://www.jca.apc.org/owaki/shuisyo/shu-yasukuni.html

明治12年に東京招魂社から靖国神社に改称された当時の祭式については、明治12年6月4日太政官達(東京招魂社、靖国神社卜改称、別格官幣社こ列セラルル件)により、「祭式ハ神社祭式二準シ陸軍海軍二省ノ官員之ニ臨ミ執行スヘシ」と定められ、その後、靖国神社祭式(大正3年陸軍省令第2号)により、大祭式、中祭式及び小祭式の別に祭式が詳細に定められた。

招魂教はテロリストや軍隊のための宗教であり、日本列島の人々が信仰してきた神道とは別物である。戦前の行政上の管轄の扱いでもそうなっていた。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7009/mg0108-6.htm
>戦前の内務省の神社行政においても、靖国神社陸軍省海軍省共管の「別格官幣社」(但し、「別格」とは「臣下を祭る」という意味であって、社格は「官幣小社」と同じ)であったのに対し、伊勢神宮(皇太神宮及び豊受大神宮)は社格を超越した国家の宗廟であった(もっとも、「官幣社」が経費の一部を宮内省から受け取ったのに対して、「国幣社」は国庫から支給されていたのであり、その点では、「官幣社」であれば一応皇室との繋がりがあると言える)。
また、その他の教派神道内務省ではなく文部省宗教局の管轄であった。
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/514.html
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=523301326&owner_id=5690042

日本のウヨが認めたくない真実・・・なにしろ百科事典にもかかれてます・・
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=512923793&owner_id=5690042

映画「靖国」上映自粛が相次ぐ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=447814&media_id=2