『明日への遺言』見て爆泣き。・゚゚・(>_<)・゚゚・。
http://wanwanlapper.seesaa.net/article/110298178.html
敬称略
○『明日への遺言』見て爆泣き
読書感想文で「泣きました」というのは最悪の内容である、と習っておりますが、実際に爆泣きした事実を避けて論評するのは不自然であるので、素直に書きます。
原作、大岡昇平 『ながい旅』、藤田まこと主演の邦画『明日への遺言』を見て圧倒されました。一つには日本の統治層が失いつつある原理原則を貫く精神が、見事に再現されていることです。原作とはタイトルを変更して「明日への遺言」とした意味は、現代日本のかじ取りを行なっている指導者層へ向けた諫言であるということなのでしょう。
○自らの死刑と引き換えに、無差別爆撃という戦争犯罪を告発
岡田資(たすく)中将は米軍捕虜を処刑したことによりB級戦犯として裁かれる立場に置かれます。「無差別爆撃は戦争犯罪であり、捕虜は処罰した」という主張を最後まで貫きます。「処罰でなくて報復」とするならば、岡田中将は死刑を免れ、アメリカも無差別爆撃という戦争犯罪を追求されなくて済む「手打ち」で終わらせることもできたわけです。しかし、処刑は岡田中将が不在のうちに部下らが手を下したのですが、岡田中将は「部下がやった事の全責任は自らにある」と言い切って、処刑台に登ります。
○戦争を経験した人のみが知る凄味
藤田まことは出征した実兄を沖縄戦で亡くしていることから、この難役を半年も考えぬいた後に引き受けることにしたそうです。「必殺」シリーズでは度々見受けられた馴染みの顔と演技ですが、この作品においても部下に対する労りの表情や、不正には毅然と立ち向かう姿勢などがいかんなく発揮されています。
戦犯法廷は戦時と平和な今を繋ぐ「窓」であり、そこで岡田中将演じる藤田まことは語り部として振る舞うわけです。あまりに大きな歴史の断層を、戦争を知る人物が正論を掲げて表現することによるインパクトは見る者の情動を揺さぶって余りあるものなのです。
○付録・昭和天皇から、「白州がすべてわるい」と一喝された。
元レバノン大使天木直人氏のブログによりますと、
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- 以下転載--
産経新聞は豊下楢彦著の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波ゲンダイ文庫)を読んで、日米安保条約交渉史を学んだほうがいい。
あの時吉田茂と外務官僚は、日米安保条約を従属的なものにしてはならないと、必死の外交努力を重ねた。
さすがの米国側も、こんな従属的な関係は長くは続けられないだろう、反米感情が起きるだろうと、自覚していた。
ところが、昭和天皇の一声で、沖縄が切り離され、米国の欲するまま、やりたい放題に、日本全土を米軍基地化する日米安保体制が出来上がってしまった。
吉田の信頼を得て自主、自立外交を貫こうとした白州次郎は、昭和天皇から、「白州がすべてわるい」と一喝された。
以来今日まで、吉田茂の期待に反して誰一人対米自立の外交を進める者は出現しなかった。
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- 転載終わり--
ということだそうです。NHK番組「その時、歴史は動いた」はマッカーサーの自伝を引用して、昭和天皇が一身に責任を負うつもりだった、と解説していましたが、番組タイトルを『その時、歴史を捏造してみた』変更した方がよいと思います。
徳川家の流れを汲む名家出身の松平キャスターがタクシー運転手を足蹴にして降格されたことこそが、「その時、歴史は動いた」という番組が産まれるきっかけになった「歴史が動いた」瞬間なのでしょうね(^-^;
・・・という皮肉はさておき、岡田中将と昭和天皇は人格からいって「月とスッポン」「釣り鐘と提灯」「岡田中将と昭和天皇」なんでしょう。昭和天皇が没して密約が切れた時期を同じくしてソロモンブラザーズによる東証での空売りに端を発するアメ帝による日本没落戦争は今や双方の凋落を見る形で最終段階を迎えています。
私達は過去を知り、反省を踏まえて、祖国の危機に立ち向かわなくてはなりません。
参考リンク
昭和天皇とマッカーサー
http://www.amakiblog.com/archives/2008/07/29/
麻生批判をしたニューヨーク・タイムズ社説に噛みつく産経新聞の無理解
http://www.amakiblog.com/archives/2008/09/29/
映画のメモ帳+α
http://moviepad.jugem.jp/?eid=177
超映画批評『明日への遺言』70点(100点満点中)
http://movie.maeda-y.com/movie/01060.htm