坂口安吾文学を土台にして、一億総白痴化の舞台裏を映像化した『白痴


(敬称略)
○そもそも「白痴」が死語になりつつありますが・・・
 坂口安吾の「白痴」という小説があり、漫画家つげ義春風味の退廃ムード漂う不条理作品となっております。
 1999年坂口安吾の小説「白痴」を手塚眞が映画化、先日観る機会を得ました。146分の映像作品となっており、さすがに長いと感じます。一言で評すれば、『芸術が好きな人』は観ておくべき作品です。
 手塚眞のブログにはどこかの女子高生が書いたのかと勘違いするような散文的な日記が書きつけてありまして、坂口安吾の重々しく含意ある文体とはコントラストを成しています。しかるに、不得手な文学的な基礎部位は坂口安吾作品を土台にして、その土台の上に手塚ワールド全開の映像作品を建立してみたのではないでしょうか。

○「視聴率80パーセントのスーパー・アイドル」
 主人公伊沢は下宿している下町を抜け出て、空襲で焼け野原となった町を歩き、バベルの塔のごとくそびえ立つ近代的なテレビ局へ出社します。そこはリアルタイムで軍部の検閲下にあり、戦意高揚プロパガンダ情報宣伝媒体と化し、暴力が支える権力に支配された抑圧のフィールドです。
 君臨するは視聴率80パーセントのスーパー・アイドル銀河様です。スーパーアイドルならではの演出やダンスが繰り広げられ、劇中劇としては驚くべきクオリティとなっています。
 Webを一覧したところ、情報統制下にあるテレビ局と戦時の焼け野原で文字どおりの苦境に喘ぐ庶民の対比について触れている感想は殆どありません。希に触れているページには、違和感があると否定的な感想が載っています。私は寓意を持って、テレビ局と庶民生活の乖離を極端な形でわざわざ描いているのだと思います。
 戦火を潜り抜け、マンガが描ける喜びを語った父・手塚治虫のバックボーンと、テレビ界に携わった手塚眞自身を主人公伊沢に重ね合わせ、不条理な映像世界を作ったのでしょう。本作はビジュアリストを名乗る手塚眞の作でありますから、警句としての映像としてよりも、映像美を主眼にした映像作品であると考えるのが穏当でしょう。
 一方では手塚をして「業界からはみだした映画『白痴』ならでは」と言わしめ、テレビ業界を意図して皮肉ってもいるのでしょう。

○虚妄が具現した現在
 本作は1998年に撮影され、1999年に封切りされています。直接制作費で7億5千万円と言われ、金額相応に美術創作や物量が投じられています。
 すでに、十余年が経過。時勢も移り変わり、作中に出てくる6発エンジン重爆撃機こそ飛来してないものの、東京・大阪CIA特捜部による政権党への弾劾、CDS金融核爆弾の炸裂、米議会トヨタつるし上げ見られる日本産業界に対する攻撃、日に日に窮乏する庶民生活、そして、CIA検察統制情報たれ流しの虚妄テレビ・マスコミの堕落と、まるで映画「白痴」が描いた世界観がそのまま現代社会に具現したかのようです。
 坂口作品が漂わせる退廃と諦観のムード、そして手塚治虫の遺伝子たる手塚眞映像美の融合が「白痴」の魅力です。私が付け加えて強調したいのは、意図したのかしないのか解りませぬが、過去を描いた作品が図らずも近未来予言映像となった本作に、高い評価を差し上げたいということです。

(参考情報)
白痴 監督:手塚眞
http://www17.plala.or.jp/herfinalchapter/hakuchi_teduka.htm
『白痴』(手塚眞監督)
http://www.korpus.org/corpus/contents/cine_journal/data/hakuchi.htm
白痴 [DVD]
http://www.amazon.co.jp/%E7%99%BD%E7%97%B4-DVD-%E6%89%8B%E5%A1%9A%E7%9C%9E/dp/B00005MI7C
映画「ルナシー」と手塚眞さん
http://www.shibuyabunka.com/culture.php?id=19
白痴 坂口安吾の小説を手塚眞が映画化。2時間半は長すぎる!
http://www.eiga-kawaraban.com/99/99081102.html
 坂口安吾の代表作『白痴』を、ヴィジュアリスト手塚眞が映画化。過去か未来かも分からない、想像の中の日本。そこには半ば日常と化した戦争が続いており、空襲によって町も人々も殺伐とし、荒みきっていた。伊沢は、映画製作の夢を抱きながら、今はテレビ局の演出助手として働いている。場末の路地に住む彼の隣家には夫・木枯と白痴の妻サヨがいた。伊沢は、現場で傍若無人を繰り返すカリスマ的アイドル銀河の画策で身も心も打ちのめされてしまう……。