内閣府はプルサーマル遂行が第一?

1.核燃組元締めの内閣府
 内閣情報調査室は要人の情報を蓄積しており、「必要な場合」に文春や新潮にリークする。小渕経産大臣を追い込んだのは内閣府だろう。
 なぜなのか。比較的民族派経世会系議員の子孫だからか。
小渕氏は経産大臣として「川内原発再稼働」「福島第一原発事故現場視察」とそつなく仕事をしているように見える。
 核燃組にとって小渕大臣の行動に、何が足りていないのか?何が取り沙汰されたのか?
 核燃政策を所管する省庁は、ややこしいのだが、「もんじゅ」は文科省管轄で、六ケ所は日本原燃である。
 経産省の所管が核燃分野のどこまで及ぶのか分からない。但し、文科省経産省脱原発ならもんじゅ廃炉という方針のようであるが、結局存続させる模様だ。核燃の主体は経産省のように見えるが、原子量安全委員会を抱える内閣府も重要なプレイヤーである。
 外形的にみて、プルサーマル計画は内閣府が推進しているように見える。311後に行われた原子力政策決定秘密会合でも内閣府側の出席者からは積極的な意見がでている。


2.小渕大臣辞任
 小渕優子経済産業相の関係政治団体による不明朗な政治資金処理の問題をめぐり、19日のNHK番組で野党幹部から、疑惑を晴らせない場合は早急に辞任すべきだとの声が相次いだ。
 民主党福山哲郎政調会長は「一日も早く説明していただきたい。国民が納得できない場合、けじめをつけていただく必要がある」と強調。維新の党の片山虎之助国会議員団政調会長は「まだ若いし将来があるので、(調査の)結果によっては、けじめをつけた方がいい」と述べた。 
20に辞任となった。

田中龍作氏は
http://tanakaryusaku.jp/2014/10/00010200
【辞任に追い込まれた松島氏、小渕氏とも靖国神社には参拝していない。小渕氏は父親の代から中国との関係を大事にしてきたこともある。】
と右派系大臣の在特会・ネオナチ団体醜聞発覚から衆目をそらすための生贄説を唱えている。

後任は元財務官僚出身者となった。
現在、核燃がらみではプルサーマル部分に巨額の税金が投入されている。
プルサーマルに予算よろしくね!」
ということなのだろうか。


3.小渕大臣(当時)の廃炉明言

 9月25日に来県した小渕優子経済産業相は、県や県議会が全基廃炉を求めている東京電力福島第2原発1〜4号機について「再稼働は大変難しいものがある」と述べ、県民感情を考慮して再稼働は困難との認識を示した。(福島民友ニュース)
注:「県民感情を考慮して再稼働は困難」なら他県にも適用できる。

小渕経産相、40年超原発について早期の廃炉判断を指示している。
小渕優子経済産業相は10月17日、電気事業連合会八木誠会長(関西電力社長)と会談し、運転開始から40年を超える原発について、運転延長するか廃炉にするかの判断を早期に示すよう指示した。経産省は電力業界からの回答を踏まえ、廃炉を決めても巨額の損失がでないよう会計ルールを見直すなど、支援策で一定の方向性を年内に打ち出す。 政府は東日本大震災後、原発の運転は「原則40年」と定めた。例外として1回に限り、最長20年の延長が認められており、原子力規制委員会への延長申請が必要になる。
 対象となる原発は、関電の美浜1、2号機(福井県)、九州電力玄海1号機(佐賀県)、中国電力の島根1号機など7基で、期限は来年7月に迫っている。】

また、原発コストは高いと国会で述べている
 小渕優子経済産業大臣は、8日の参議院予算委員会で、原発事業の優遇措置を検討する考えを示した。

孫崎享氏は
【小渕経産相原発発言、県民感情考慮し再稼働は困難(対福島。でもこの論理他県に使われるとどうなる?)、原発はコスト割高(国会答弁)、老朽化原発廃炉基準を求める(関電社長に)驚く位、「原発村」を不安にさせる発言してる】
と指摘している。

4.推論と対策
 住民感情に配慮した廃炉発言により川内原発再稼働に水を差す、ということで辞任に追い込まれたのだろうか。それとも表に出ていない原発プルサーマル政策に関する意思表明があって、それが内閣府核燃司令塔の逆鱗に触れたのか?
 私自身は即時全核燃廃止派なので、小渕氏の川内原発再稼働という核燃政策は許容できない。だから、辞任になっても同情しない。後任の経産大臣がどのような采配をするのか注目したい。
 仮に40年超え原発廃炉電事連に求めただけで、辞任に追い込まれたのなら事態は深刻である。本来原発の耐用年数は30年を想定されている。ボイラーを使う設備は概ね30年が耐用年数なのだろうだ。原発中性子線による脆弱化が加わる。耐用年数を40年に伸ばしたために、本来廃炉になっているはずの、福島第一原発1-4号機が事故を起こした。1号機に至っては40年目前だった。
 古い原発は耐震基準が低い。かといって新しい原発が安全というわけでもない。シミュレーションや経験則から、冗長と思われる「配管の厚み」を削った設計をしている。
 また、スリーマイルは稼働後4ヶ月で事故をおこしたし、チェルノブイリは稼働後1年3ヶ月で事故に至っている。新しくても事故が起きるときは起きる。
 小渕大臣は福島第二原発1-4の廃炉を示唆しているが、実は1・2・4号機はIAEAの基準でレベル3の事故となっている。スリーマイルがレベル5である。福島第二では小規模な水素爆発が発生したという情報を現場の作業員から聞いたというジャーナリストがいる。
 それなりに燃料棒が傷んでいる可能性が高く、廃炉にしたくても燃料棒取り出しがスムースに出来ない状態である可能性がある。
 福島第二原子力発電所福島第一原発発電所から10km程度しか離れていない。放射能禍のみならず、アフターライズ地震による津波の再到来も懸念される。廃炉するしかないのだが、実際には廃炉できないので、廃炉を指摘されたら、「それは言ってはいけないこと」だったのかもしれない。

 「ダマスコミ」なんて事が言われている。その通りなのである。本質的な問題点は扱わない。所詮は「金儲け」なのである。読売・産経などは狂ったのように核燃推進に地道をあげている。実際、正気ではないのだろう。内閣府に至ってはそれこそ「命賭けて」核燃驀進に余念がない。結果的に、人民が正しい認識を得られずに、次の核燃事故を引き起こすことになる。
 座して破滅の招来を見過ごすのか?曲がりなりにも社会の一員であるのなら、なんとしても、核燃破滅事故を回避するために努力すべきである。
 積極的なデモや請願運動もあるが、消極的な節電や支出の削減という対策法もある。とにかく、あらゆる社会問題の中でも一際、核燃が危険を伴っていることだけは間違いないので、全人民が対応すべきである。


ツィッターで流れていた文章。

伊丹万作「戦争責任者の問題」(1946年) より。
「さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。私に知っている範囲ではおれがだましたのだといった人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなってくる。
 多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はっきりしていると思っているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。
 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かったにちがいないのである。しかしそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分かれていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、(続)
 次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が互にだましたりだまさたりしていたのだろうと思う。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争の必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれてしまったためにほかならぬのである。
 そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の人間が相互にだまし合わなければ生きて行けなかった事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。
 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間の範囲を思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起こる。ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間の範囲を最小限にみつもったらどういう結果になるかを考えてみたい。
 もちろその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによってだまさたものの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも書いてはないのである。(続)
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
「だまされていた」といって平気でいられる国民なら、おそらく今度も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそでだまされ始めているにちがいないのである。(了)