パンク対策してリスクを少しでも減らす。

1.交通事故リスクを少しでも減らす。
 私は交通事故に遭わないように、不要な外出は極力さけている。仕事の場合は仕方ない。運転せざるを得ない時は、なるべく安全運転を心がけている。
 ある日、休日に来訪者があるから、何かと思ったら、私の家のビポールを倒したというのである。
 わざわざ謝りに来て賠償するというのは、今時良心的だとは思うのだが、なんで角地でもない場所のビポールを倒すのかね?なんでも、車両とすれ違うために下がった時に折ってしまったそうである。住所地を教えてもらうと「三郷市」・・・・。

 先日、京王バスの運転手が運転中に気を失って、両手を挙げて後ろにそっくり返り、歩道から建物に突っ込んだ事件があった。内部被曝が原因だと思われる。

 実は脳は放射能に弱い。細胞が再生しないからだと言われる。大脳皮質が打撃を受けると、地の性格がでて、粗野になると言われ、脳幹部が打撃を受けると様々な生理現象が管理できなくなる。
 脳内の情報伝達にカルシウムイオンが必須であり、ストロンチウムがカルシウムの代わりに置き換わってしまうと、β線被曝により伝達がうまくいかなくなり意識を失うとも言われている。

 となると、これから交通事故が増える。チェルノブイリ後、旧ソ連でも事故が増えた。ドライブレコーダー必須なのは警察が機能していないというのあるそうだが、実際に交通事故が多いというが最大の理由である。

 日本でも交通事故や列車事故が増えている。精神医療における薬物投与が更に拍車をかけるだろう。


2.タイヤの保護
 車を運転中に路上でパンクした場合、事後処理中に交通事故に巻き込まれて死傷する事件が起きている。
 路上で止まってしまうのは、タイヤのパンクか燃料切れが殆どだろう。今時、オーバーヒートやベルト切れはあまり聞いたことがない。
 燃料は常に、GSで満タンでするべきである。これは手間を減らす意味合いもあるが、燃料切れを避けるためである。10リッターだけとか給油するのは止めたほうが良い。燃費を良くする効果があると言われているが、GSへ行く回数が増えれば、その分走行距離も増えるので、燃費効果も相殺される上に時間を浪費する。

 パンクしないように、タイヤの点検を行うべきである。盲点なのはスペアタイヤの空気圧である。タイヤ交換しても、スペアタイヤに空気が入っていないと走行できない。

 タイヤの寿命は5年程度と言われている。使用年月と、摩耗具合とヒビ割れで交換時期を判断することになる。
 紫外線やオゾンによるタイヤの経年劣化も無視出来ない。
エアコンの室外機がオゾンを発するので、室外機の近くにクルマなどのタイヤを使った乗り物を置かないほうが良い。
「クレポリメイトクリア」保護ツヤ出し剤を塗布して布で拭うと、綺麗に光沢が出て、紫外線に対するタイヤ保護にもなる。


3.タイヤを安く買って交換する
 あまり老朽タイヤを使い続けない方が良い。
 韓国の「ハンコック」、ハンコックのセカンドブランド「キング スター」(中国生産)がC/Pが良い。ネットで検索してなるべく安く買う。送料が大きいので、送料無料の所で買うのが、結果的に安かったりする。
 高いタイヤを長く使うよりも、安いタイヤを早めに交換した方が安全だろう。
 イエローハットでもタイヤ持ち込みで交換を依頼できるが、様々な相談ができる行きつけの修理工場があると何かと便利だ。


4.路上でのタイヤ交換方法を学んでおく
 最近の乗用車にはスペアタイヤがないそうだ。その代わりにパンク修理剤を搭載している。だが、タイヤが大きく裂けてバーストした場合、修理剤は効かない。JAFを呼んでもスペアタイアが無ければ、どうにもならない。
 
 路上でのタイヤ交換における注意点は2点有る。
第一に追突事故のリスクを減らす事だ。

 私はLED式警告灯を2本と発煙筒を複数本積載している。
高速道路本線での路駐時、三角表示板を50m手前に設置する義務があり、違反の場合は違反切符を切られる。だが、私は三角表示板は積んでない。
設置する間や撤去する間に追突されたら意味がない。一刻も早く後続車両に警告を発する必要がある。
それには、1秒でも早く発煙筒を炊いた方が良い。
発煙筒は炎と同時に煙が上がるので、視認性が良い。またケースごと燃焼してしまうので、後に撤去する必要がない。
ただし、一般的な発煙筒は5分しか持たない。であるから、複数本必要なのである。
発煙筒の欠点はトンネル内では使えないとういう点である。
であるから、LED警告灯を2本所持している。
LED警告灯は見づらいが手元を照らすのにも使える。
磁石で車体に吸着させて、警告表示できる。

第二にどうやってネジを緩めるかという事である。
 問題はタイヤを取り外す時にネジが固くしまっている事である。タイヤ屋さんが、エアー・コンプレッサー工具で、メーカー指定値よりもきつく閉めていると、標準工具でネジを緩めるのは困難である。
レンチを延長するパイプを積載し、パイプでレンチを延長して足で踏んで緩めるのである。
これは1BOX車程度までは効果があるが、トラックとなると絶望的に緩まない。
トラックの場合はギアレンチを使う。
意外に高くない68倍ギアレンチが5000円前後で購入できる。トラッカーには必須工具だ。
また、ネジを緩める際に車体動くので、ゴムのタイヤストッパーなどが必須である。
トラックの前輪がパンクした場合、油圧ジャッキが車軸の下に入らない。
油圧ジャッキが入る程度に車軸を上げるために、パンクしたタイヤの下に入れるカー・スロープも必要である。
ロードサービスは角材を斜めにカットしたものを使っていたが、樹脂製の物がある。
これもトラック車載必須用品である。

乗用車は車体のフレームにパンタジャッキをかけるので、パンクして車高が下がっても大丈夫である。
アルミホイールを使っている人はタイヤを止めているネジの上に蓋がかかっている場合があり、これを外すのにマイナスドライバが必須である。加えて軽く叩くために小型のトンカチも積載して置いたほうが良い。
車高を低くセッティングしてると、パンクした時にニッチもサッチもいかなくなる可能性があるので車高を下げるのは止めたほうが良い。

ちなみに、乗用車や1BOXのタイヤホイールネジのレンチサイズは17mm/19mm/21mmのようである。
フォークリフトは22mmから。
トラックは41mmで統一されている。


5.走る場所を考える
 あまり道路の隅っこを走らないほうが良い。隅っこの方が釘などが落ちている確率が高い。
また、盲点なのが、交差点の中央分離帯である。
 右折しやすいように、中央分離帯が道路と同じ高さ・平面になっている箇所がある。ショートカットして中央分離帯を踏むと、そこにはネジやゴミや金属片が溜まっており、パンクの原因となる場合がある。
 そもそも、中央分離帯は踏んではいけないのだが、清掃車では清掃できない箇所なのだろう。

 都市部近郊はおしなべて舗装された。砂利道は基本的になるべく走らない方が良い。
自動車の寿命が伸びたのは舗装率の上昇と関係していると言われている。タイヤだけでなく、車体にも悪いし、巻き上げる粉塵でエアフィルターも早くダメになるだろう。


6.車検を通じてクルマの構造を学ぶ
 車検となれば、一通り車両を点検しなくてはならない。実は車検を通すだけなら、何も整備しないで検査ラインを通して、問題を指摘された箇所だけを、テスター屋やイエローハットで泥縄的修理して、再度検査ラインを通すという手がある。代行屋はおそらくそうしていると思われる。
 それでも、ユーザー車検をする場合には、検査で落とされないほうがスムースに短時間で手続きが終わるので、なるべく車両のチェックするようにはなる。そのことがトラブルを減らし、車両の長寿命を狙っての安全運転に繋がる。
 ディーラーはすぐに買い換えを薦めるが、今時は10年10万Kmでは新車扱いだとまで言われている。20万km走ってから、さぁどうしよう買い替えかな?という具合だろう。
安易に買い換えず所有している車両を出来るだけ自分で手入れして、なるべく長期間使うべきである。
 13年・18年を節目で重量税が増えるが、これは環境負荷を高くするだけである。13年超の自動車には【自動車税】が「通常税率の15%UP」となった。
今の車両は20年は問題なく走るだろう。
フィットで40万km走ったという報告が上がっている。
定期的に油脂類を交換すれば長持ちする。
また、車齢と共に下回りが錆びてくるので塗装すると良い。
スプレーでも良いが、防錆効果を考えると油性塗料でがっちり塗ったほうが良い。


7.人民の機械化で劣るゆえに日本は敗北した
 先の戦争で日本が米国に敗北を喫したのは、巷間では資源や産業力の差によるものと喧伝されているが、ミッドウェー海戦までは日本海軍の方が戦力では上だった。
 大本営軍令部の作戦や、作戦指揮者の能力に問題があった。軍令部の司令を天皇の命令という上意下達型は、刻一刻と変化する現地での作戦指揮には適していなかったのだ。
 それに加えて、戦前の日本では自動車の普及率が低く、メカに詳しい人民が少なかった事も、米国に負けた要因とされる。
 母方の祖父は自動車修理工でビルマ戦線に従事した。本部付きだったので、インパール作戦で命を失うことはなかった。当時はメカニックが貴重な人材だったというのもあるのだろう。
 機械化で劣る日本陸軍ジンギスカン作戦などと称して、牛や馬を仕立てて行軍したが、ビルマの厳しい山岳地帯でうまくいくわけもない。
 田中角栄がエネルギー権益獲得に奔走したのは戦時中散々歩かされた経験から来ているとされる。
 森村誠一氏の父親は戦前から外車を4台用いてタクシー業を営んでいたが、戦時中に軍により4台とも接収され、父は大いに落胆したと森村氏は述懐している。森村氏の戦争に対する眼差しは実体験に基づいている。
 第一次世界大戦の時にすでにエンジンを用いた輸送手段を効率的に運用できた英仏側の勝利で、来る大戦を制するのは内燃機関の効率的運用だというのは自明だったのだが、民間のモータリゼーションで劣る日本国に勝機は最初から無かったのかもしれない。