明治政府・財閥お抱え広報宣伝師「福沢諭吉」

福沢諭吉神話との闘い
 先日、初めて知ったのだが、戦後に丸山真男が「福沢諭吉神話」の創始者となり、現在に至っているとの事だ。丸山真男と言えば、従軍経験を基礎にして大日本帝国軍部に対して苛烈を極めて非難する論文を執筆した人物である。
 それが、なんと、事もあろうに、丸山は日本帝国主義のお先棒担ぎをした福沢諭吉を「曲解」して、近代民主主義の先駆者と評したそうだ。丸山の捏造した「丸山諭吉論」が戦後幅を利かせ、良識なる人の象徴として担ぎあげられている。
 ある意味丸山自身が福沢の扇動によって形成された日本帝国主義の犠牲者であったはずだ。その丸山が福沢を持ち上げるとはいかなることなのだろうか。
 どうしてこうなったのか?一つには英雄譚をでっち上げて、ファンを獲得すると、本は売れてカネも入るし、英雄に仮託して、自分自身も英雄になったような気持ちになる。「司馬遼太郎方式」の金儲けである。
 この「丸山諭吉」を看過できないのは、また日本が戦争への道を爆走中であり、丸山諭吉像を背景にして、1万円札の肖像にすらなっている。
 上記レビューにもあるが、
「日本の侵略を受けたアジアの国々には、福沢諭吉が1万円札の肖像になっている限り日本は信用できないという人がいるほどである。」
というのは本質を言い当てている。

 前の5千円札であった新渡戸稲造も御用学者・御用知識人である。日露戦争で白兵戦となり、元士族はともかく、農民出の兵士は全く役に立たなかった。明治政府は新渡戸を通じ「武士道」なるものを喧伝し、軍事力強化扇動を担った。

 IWJで安川寿之輔氏インタビューが掲載されて、以前から言われていた福沢の悪意を知ることとなった。しかし、恐らく殆どの日本人民は、福沢の悪意や恐るべき体制迎合、財界迎合体質を知らない。日本人は、文字通り悪魔に魂を売った人物をお金に印刷して、毎日々々、拝金主義者として大地を駆けずり回っている。
 内閣官房御用達在特会や、ネット言論や雑誌、書籍に至るまで、アジア蔑視の言論で溢れているのは偶然ではない。遂に法務省が強制的権限はないがニコニコ動画に対して在特会の動画を消すように指導し、ニコニコ動画在特会の動画を幾つか削除した模様だ。
 ニコニコ動画の代表者である川上量生は、一時期在特会の公式有料課金ページを開設しており、しかも、川上は在特会の擁護発言を行っていた。
 川上にしてみれば、収益とユーザーの確保という商業上の観点から認めていたのだろうが、敢えて在特会擁護発言を行うのは度が過ぎている。川上の脳内自体が既にネトウヨ状態でなのである。

 福沢諭吉こそが元祖ネトウヨだとすれば、その福沢を最高額の紙幣に印刷し、福沢を美化している事について、図的な物を感じざるを得ない。その裏ではアジア蔑視、戦争誘導、戦時体制動員への道筋が切り開かれいる。

 閉架騒動のあった「はだしのゲン」ではゲンの父が「アジアの人達と仲良くするのが戦争を避ける唯一の道」と説いている。「はだしのゲン」を在特会ネトウヨ閉架しろというのだから、これこそは日本人民の必読書であると証明されたようなものだ。

 悲劇的なのは、現在のアジア蔑視論は、日本帝国主義の発露ではなく、米国による「アジア分断統治」である可能性が高い。つまり、アジア諸国同士争わせて疲弊させ、アメリカの世界覇権を脅かさないようにする「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」である。
 CIA読売日本テレビ系やフジサンケイグループ外資の持ち株比率が高まってきている。在特会はCIA内調の意図を受けているだろう。
 さすがに、福沢の言を用いてアジア蔑視を謳う者を見たことはない。しかし、福沢の悪行を封印し美化しいる時点で、日本軍の侵略を受けたアジア諸国人民は日本についてどのように思うのだろうか。『実際の福沢は、同時代の知識人から「ホラをフクザワ、ウソをイウキチ」などと揶揄されるような存在だった』と言われているが、それでも福沢の言説は大きな影響力を持ち、時を超えて、現代へも少なからず影響を与えている。

 現在、福沢諭吉的役割を担っているは竹中平蔵である。慶応大学教授でありながら、パソナの会長を務めている。パソナの南部はシャブ中であり、パソナ迎賓館「仁風林」では政府要人が酒池肉林の接待を受けている。
 派遣業の拡大により、戦後労働三法が禁じてきた「労働者からのピンハネ」が横行している。そのピンハネで溜まったカネを竹中は受け取り、したり顔で講釈を垂れている。まさに平成の福沢諭吉である。

 拝金の成れの果てに、倫理を捨てた日本民族が、福沢を印刷した紙を有り難がりながら、預金封鎖・財産課税・新円切替、米国主導戦争への動員、放射能禍による衰亡の道を辿っている状態には必然性があるとすら言える。


(参考)
2014/09/03 「奴隷の群衆」「牛馬豚犬」…”元祖ヘイトスピーカー”としての福沢諭吉を徹底検証〜岩上安身による名古屋大学名誉教授・安川寿之輔氏インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/166258
【IWJ特報最新号発行!】知られざる福沢諭吉 侵略の肯定、そしてヘイトスピーチ ?名古屋大学名誉教授・安川寿之輔氏インタビュー(ePub版を発行しました!)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/242406



福沢1万円札の秘密<本澤二郎の「日本の風景」(2217)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52127243.html
転載開始ーー
<後期の脱亜入欧・アジア蔑視>
 福沢後半の主張は、筆者の目には天皇国家主義の擁護者そのものであり、とても評価に値しない。それどころか、半島や大陸の腐敗政権をよいことに、これを退治することが日本の使命というような、獰猛な侵略と植民地政策を推進する主張へと変わる。
 したがって、政府攻撃に命を懸ける自由民権運動に対して、公然と批判を加える福沢である。明治政府お抱えの広報宣伝に突っ走る。それを新聞「時事新報」を使って爆発させてゆく。
 今でいう読売・産経であろう?ひょっとしてナベツネは福沢気取りかもしれない。これを可能にするためには、富国強兵策の推進となる。日本帝国主義論者として、政府のお尻を叩いてゆく。
 戦争国家日本を推奨するような福沢は、いわば極右思想の権化といっていい。天皇のために死んでゆく青年を祀る靖国神社に「天皇自ら参拝せよ」とも訴えてゆく天皇主義者ともなる。
 そこからは民主主義者という福沢イメージは、まったく見えてこない。それでいて、なぜ21世紀日本の1万円札なのか。これが不思議でならない。
<財閥擁護の福沢>
 要するに、アジア蔑視の福沢・富国強兵策の福沢の主張の先に、日清・日露戦争があり、ついで半島と大陸への侵略・植民地政策へ発展、結果、日中戦争・日米戦争で滅亡した。そして戦後70年においても、福沢1万円札は生きている。ここに今の日本の、秘匿された極右の野望を見て取れる。
 初期の福沢は頼もしい日本人だった。後期の彼は、軍国主義者・帝国主義者である。平和を愛する日本人とアジアの敵である。それでいてなぜ1万円札か。
 福沢のもう一つの顔は、政商・財閥擁護にある。「強い日本」は、強い経済力を必要とする。資本との提携である。財閥と共にある。ここがポイントである。
転載終わりーー


福沢諭吉の正体はやはりアジア侵略主義者だった
投稿者 つくしん坊
http://goo.gl/3SEb2U
転載開始ーー
戦後、丸山真男により、福沢諭吉は「典型的な市民的自由主義者」と理解されてきた。このことが丸山の「誤読」であることは、安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識』(2000年)や『福沢諭吉丸山真男』(2003年)により明らかにされた。ところが、井田進也『歴史とテクスト』(2001年)のテキスト比較分析(無署名論説認定方法)、およびその分析手法に全面的に依存した、平山洋福沢諭吉の真実』(2004年)により、史実を無視した福沢諭吉の美化が行われている。本書は、井田・平山の両書が、およそ学問とは程遠い恣意的な手法であることを丹念に論証し、福沢諭吉の正体がすさまじいアジア蔑視・アジア侵略主義者であることを証明したものである。
 問題の焦点は、福沢諭吉が創刊した日刊新聞『時事新報』の無署名論文の著者が誰か、ということである。井田・平山は、日清戦争の前後、アジア蔑視・アジア侵略を盛んに煽った無署名論文が、石河幹明その他記者が起草したものであり、福沢諭吉の思想とは正反対であるとしている。本書では、井田・平山の論拠が全く成立せず、無署名論文であっても福沢自身が執筆したか、あるいは他の記者が福沢の趣旨を踏まえて起草した内容に福沢自身がチェックを入れて発表したものであることを疑問の余地なく論証している。
 今後の日本の方向を考える上で、日本がなぜアジア・太平洋戦争に至ったのかを明治時代から辿り、その過ちから学ぶことが不可欠である。福沢諭吉に代表されるアジア蔑視主義は今に至るまで影響を与えている。その呪縛から解放され、アジア諸国との新しい関係を模索するには、本書の内容を踏まえることが大いに参考になる。
転載終わり--

福沢諭吉は、「暗い昭和」へと日本を導いていったアジテータであった, 2013/9/14
投稿者 つくしん坊
http://goo.gl/mzE6ZM
転載開始ーー
本書(2000年刊)に引き続き、著者の福沢諭吉研究は4冊に及ぶ(最新刊は『福沢諭吉の教育論と女性論』)。著者の一貫した主張は、福沢諭吉が「近代日本の民主主義の先駆者」という世間的な評価は、著名な思想史家丸山真男の誤読(「丸山諭吉」)によるもので、その実像は通説とはかけ離れた差別主義者であったことを明らかにしてきた。
本書は、『福沢諭吉全集』(岩波書店)の中から、福沢のアジア認識に関する言説397件を抽出し、内容を批判的に分析したものである。分析手法は徹底的かつ読者が検証可能なものであり(すべの言説のエッセンスと内容評価を資料集として添付)、科学的テキスト分析といってよい。このような分析の結果、鮮明となった福沢のアジア認識は、帝国主義・資本主義のアジテータそのものであり、「丸山諭吉」的な「近代日本の民主主義の先駆者」像とは正反対である。誤った福沢像がこれまで通用してきた日本の歴史・思想界のレベルの低さと、それが日本の戦後にもたらした甚大な負の影響に暗然たる思いがする。なお、本書刊行後、井田進也『歴史とテクスト』(2001年)とその分析手法に全面的に依存した、平山洋福沢諭吉の真実』(2004年)により、史実を無視した福沢諭吉の美化が相変わらず行われているが、安川著『福沢諭吉戦争論天皇制論−新たな福沢美化論を批判する』(2006年)により、それらの内容が荒唐無稽であることが完璧に論証されている。
本書では、初期啓蒙期(幕末〜1877年)、中期保守思想(1877〜1894年)、日清戦争期(1894〜1898年)、および最晩年期(1898〜1901年)に分け、福沢のアジア認識の変遷を追っている。テキスト分析の結果によれば、「アジアへの蔑視・偏見・マイナス評価」と「対外強硬策」に関する発言がダントツに多い。これの意味するところは、アジア諸国への蔑視発言を繰り返すことで国民の優越意識を煽り、朝鮮・中国・台湾への侵略を正当化するという、帝国主義・資本主義のイデオローグの働きを存分に行ってきたということである。
本書は、最近の日本の政治や世論の極右化の流れに対して大きな示唆を与えている。最近のネット右翼ネトウヨ)や嫌韓・嫌中デモの聞くに堪えない暴言・妄言は、本書を埋め尽くしている福沢諭吉のアジア蔑視の発言と驚くほどよく似ている。本書を読んで、福沢諭吉は「元祖ネトウヨ」であると再認識した。ただし、福沢の場合は、国民を愚民化して、喜々として戦争に向かわせるのが目的であり、その権謀術数の悪辣さは、「暗い昭和」へと日本を導いていったアジテータとして、歴史に長く記憶に留められるべきである。
転載終わり--

丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉神話」から目を覚まそう
投稿者 つくしん坊 2010/9/14
http://goo.gl/7NtKbq
転載開始ーー
 福沢諭吉といえば「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」という『学問のすすめ』の冒頭の句によりあまりにも有名であり、近代的な民主主義者の代表ということになっている。戦後定着したこの定説には、著名な思想史家丸山真男が、戦後いち早く福沢を絶賛したことが大きく貢献している。
 本書は、このような「福沢諭吉神話」が、丸山真男の誤読によるものであることを、原典を豊富に引用しながら証明している。その証明方法は、そこまでやるか、というほど徹底しており、丸山真男が、自分が創りあげた福沢諭吉のイメージに合った文言しか利用しないという、研究者にはあるまじき誤読で「福沢諭吉神話」を創出したことは疑う余地がない。
 福沢諭吉の実像はどうだったのか。実際の福沢は、「愚民を篭絡する」詐術としての天皇制を肯定し、大日本帝国憲法教育勅語の賛美者であった。また、『脱亜論』にも見られるように、すさまじいアジア蔑視主義者であり、日清・日露戦争という日本の帝国主義的な行動を、言論人として先頭に立って扇動した。その他、貧者に教育するのは無用など、教育の機会均等を否定しているように、あからさまな差別主義者でもあった。現在で言えば、一世を風靡したネオコンそのものである。
 以上のような福沢諭吉の本質は、多くの同時代人には見抜かれていたが、戦後になってから丸山真男が「福沢諭吉神話」の創始者となり、現在に至っている。それどころか、1万円札の肖像にすらなっている。日本の侵略を受けたアジアの国々には、福沢諭吉が1万円札の肖像になっている限り日本は信用できないという人がいるほどである。本書は、丸山真男の誤読で創りだされた「福沢諭吉」神話から目を覚ます良い機会である。
転載終わり--

あらためて浮かび上がる、「差別主義者」福沢諭吉の実像
投稿者 つくしん坊 投稿日 2013/9/3
http://goo.gl/CaJkFa
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著者による一連の福沢諭吉研究『福沢諭吉のアジア認識』、『福沢諭吉丸山眞男』、『福沢諭吉戦争論天皇制論』は、本書をもって一段落とのことである。これら一連の著書で、著者は、近代的な民主主義者の代表ということになっている福沢諭吉の実像を明らかにした。つまり、著名な思想史家丸山眞男が、戦後いち早く、「誤読」に基づいて、福沢を絶賛したこと(「丸山諭吉」神話)が大きく貢献しており、福沢諭吉の実像は、様々な意味で、すさまじい「差別主義者」であった。本書では、教育論や女性論でも同様であったことを詳しく説明している。
著者の福沢諭吉批判は、個人攻撃が目的ではない。リベラル派も含めて、戦争責任を曖昧にしたまま戦後70年近くを経てきたことが現在の日本の国内外の困難の根源にあり、その源流こそが誤った福沢諭吉礼賛にあるとするものである。問題なのは、丸山眞男の弟子筋を含むリベラル派でさえもが、「丸山諭吉」神話の呪縛に陥っていることである。本書は、福沢諭吉の実像を明らかにすることで、戦争責任問題に決着を着け、現在に必要な新しい歴史観の構築を目指しているものである。
福沢諭吉の教育論は、「貧乏人には極力、教育を受けさせずに無知なままに留め、優良な教育は富者の子弟だけのものとせよ」という考え方に尽きる。このことが晩年の教育勅語礼賛に繋がっていく。一方、女性に対しては、性差別を前提とした「家庭内奴隷」を是とする立場であった。たとえ時代の制約を考慮したとしても、丸山眞男が謳い上げた「近代的な民主主義者の代表」とはかけ離れた実像である。
本書は、最終章で一連の福沢研究のまとめを行なっている。福沢諭吉は、「アジアの盟主意識」、「アジア諸国への差別・蔑視感」、「天皇を仰いだ帝国主義ナショナリズム」、「他国民族の文明化の使命感」、「女性に対する性差別意識」などという戦前の支配的な国民意識を、啓蒙家として先頭に立って扇動し、定着させてきた人物であった。日本が現在でも福沢諭吉の思想的呪縛下にあることは、アジア諸国からの嫌われ者である福沢諭吉が、1万円札の肖像になっていることからも明らかであろう。「福沢諭吉的なるもの」の清算なしでは、日本が世界、特にアジアで平和的・友好的に生きていくことは困難であろう。本書は、その清算の第一歩である。
転載終わり--