アメリカと英仏がカダフィ大佐を殺害しリビアを破壊した。

 堤美香著「政府は必ず嘘をつく」によれば、ムアンマル・アル・カダフィー大佐が統治していた頃のリビアでは、すべての国民にとって、家を持つことは人権だと考えており、新婚夫婦には米ドル換算で約5万ドルもの住宅購入補助金を、失業者には無料住宅を提供し、豪邸を禁止していた。車を購入する時は、政府が半額を支払う。電気代はかからず、税金はゼロ。教育、医療は質の高いサービスが無料で受けられる。もし、国内で必要条件に合うものが見つからなければ、政府が外国へ行けるよう手配してくれた。国民には手厚い社会保障が存在し、生活水準も高かったのだ。

 2007年3月2日に行われたウェスリー・クラーク将軍へのインタビューによると、2001年9月20日ペンタゴンである将軍からイラク攻撃について知らされた。数週間後、既にアフガニスタン空爆が実行されている最中に同じ将軍から見せられたメモについて語った。アメリカ政府が5年以内に7つの組にを支配下に収める計画を持っていたことを明らかにしたのである。。標的となっていた国は、イラク、シリア、レバノンリビアソマリアスーダン、イランだ。クラーク氏は、欧州89カ国とアフリカ及び中東地域におけるアメリカ軍の活動を式するアメリカ合衆国ヨーロッパ司令部の元総司令官であり、1997年から2001年までNATO軍の最高司令官を務めた経歴を持つ人物だ。
 リビアアメリカの攻撃対象国になったのは2001年9月11日の後、9月15日キャンプ・デービッドの会合で決定された。当時、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドの周辺が作成したリストには、最初にアフガニスタンイラクを攻撃し、イランもその可能性に入っており、第二段階でリビアとシリアを攻撃し、第三段階でソマリアスーダンを攻撃するというものだ。
 1991年にラムズフェルドと同じネオコンシオニストのポール・ウォルフォウィッツが5年以内に殲滅するとしていた国はイラク、イラン、シリアである。この3カ国もラムズフェルドの案にに含まれているが、リビアをウォルフォウィッツは口にしていない。
 2002年・2003年リビアアメリカと争点となる点すべてに関して交渉を行い、解決への努力を行った。しかし、アメリカはリビア攻撃を諦めなかった。2005年の外交正常化の結果としての経済開放を利用して、諜報員を送り込み、政府高官の中から諜報員を採用した。

 リビアの体制転覆作戦は2010年には始動していた。この年の10月、リビアで儀典局長を務めていたノウリ・メスマリが機密文書を携え、チュニジアを経由して家族と一緒にパリへ降り立った。メスマリは治療を受けるという名目で出国、パリではコンコルドラファイエット・ホテルに宿泊、そこでフランスの情報機関員やニコラ・サルコジ大統領の側近たちと会談している。
 11月にフランスは「通商代表団」をベンガジに派遣するが、その中には情報機関や軍のスタッフが含まれていた。現地ではメスマリから紹介されたリビア軍の将校と会った。リビア政府は会談の直後にマスマリに対する逮捕令状を出している。この月にはフランスとイギリスが相互防衛条約を結び、リビアへの軍事介入へ第一歩を踏み出した。
 リビアは世界5位の産油国であり、こうした動きに石油利権が絡んでいることは間違いない。リビア保有していた金も注目されている。2011年3月21日付けのフィナンシャル・タイムズ紙によると、リビア中央銀行保有する金の量は少なくとも143.8トン、当時の相場で換算すると65億ドル以上になるという。しかも、通常の国とは違い、その保管場所はリビア国内のようで、これを奪うためには軍事占領しなければならなかった。

 シドニー・ブルメンソールが2011年4月2日にヒラリーへ送ったメールにも143トンの金について書かれている。相当量の銀も保有、総評価額は70億ドル以上だとされている。カダフィはアフリカを自立させるために南アフリカチュニジアと組んで、フランスフランに代わる通貨として、リビア・ディナール金貨をアフリカの基軸通貨にしようとしていた。そのため大量の金や銀を保有していた。ディナールを発行するリビア中央銀行は国営。私的な金融機関が支配する西側世界とは違い、政府を潰さない限りディナールを止めさせられない。
 カダフィがアフリカを自立させることを西側の支配層が恐れたのは、今でもアフリカを彼らは食い物にしているからだ。歴史的にフランスはアフリカに大きな利権を持っている。表面的には植民地でなくなっているが、実態は植民地だ。これはアフリカ以外でも言える。アメリカの支配層が自立した国、自立した指導者を憎悪する理由でもある。

 2011年2月15日、リビアで大規模な反政府デモを発端とする武装闘争が始まった。アラブ圏では「2月17日革命」と呼ばれている。
 ベンガジのデモでは屋根の上の狙撃者が群集と警察の両方へ発砲し混乱を起こそうとした。現場に連れてこられた武装集団により暴力行為が行われた。同時に東部の複数の町を攻撃し、蜂起の過程で武器庫を襲い大型の武器を奪った。
 3月17日、国連安全保障理事会は、決議1973号を採択した。国連憲章第7章(軍事的強制措置)のもとで行動するとして、民間人および民間人居住地域を保護するため、加盟国に対して「あらゆる必要な措置をとること」(to take all necessary measures)を授権している(authorizes)。そして、リビア上空に飛行禁止区域(No Fly Zone)を設定すること、武器全面禁輸の執行、資産凍結、渡航禁止の拡大などを定めている。この決議の採択にあたっては、ロシア、中国、ブラジル、インド、そしてドイツの5カ国が棄権した。ロシアは、決議はリビアの反体制派側に偏り、内政不干渉原則(国連憲章2条7項)に反する介入にあたると主張した。
 フランスを中心として、「あらゆる必要な措置」を広く解釈して、それを「空爆」を是認した。アラブ連盟の同意を取り付け、カタールアラブ首長国連邦を軍事行動に引き入れたが、エジプトは軍事行動への参加を拒否し、ドイツに至っては安保理決議で「棄権」している。
 3月19日午後(日本時間20日深夜)、仏英米など多国籍軍リビアへの「空爆」を開始した。地中海の米艦から巡航ミサイル100発以上がリビアの軍事施設に向けて発射され、米英仏軍機が防空施設などを爆撃した。この日だけで、50人近くが死亡したとされている。

 NATOは人道的戦争という演出を行ったが、実際は古典的な植民地戦争だった。NATOの数千のミサイル攻撃により千人程度の民間人が死亡した。劣化ウラン弾も使われたとされる。民間人の生活を不可能にするために、停電や断水や起こさせ、食料供給を絶ち、人々の絶望と怒りを作り出し、NATOが望む通りにカダフィ体制を倒す方向へ仕向けた。

 8月23日には、首都トリポリ北大西洋条約機構軍の支援を受けた反体制派のリビア国民評議会の攻勢によって陥落し、40年以上政権の座にあったムアンマル・アル=カダフィ大佐が率いる大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国は事実上崩壊した。10月23日カダフィー大佐は出身地シルトで殺害された。
 NATOカダフィーという人物を殺し、リビア社会を分裂させ細分し、イラクのような混沌状態に陥れた。NATOが開放した地域では住民の安全は保証されず、戦士たちが殺しや強姦を行った。

 2012年9月11日にベンガジの米領事館と中央情報局(CIA)の活動拠点がテロリストに襲撃された。この事件はアルカイダと関係のあるイスラム組織が綿密に計画したもので、クリストファー・スティーブンス大使と米国人職員3人が殺害された。
 オバマ政権は「襲撃事件の発端はインターネットの動画であり、政策の失敗ではないと強調」と表明したが、実際は米国のリビアへの軍事介入に伴う報復攻撃だった。
 シドニー・ブルメンソールからヒラリー・クリントンへ送られた2013年2月16日付けのメールには、フランスの情報機関からの情報として、ベンガジ領事館襲撃に必要な資金を提供したのはサウジアラビアの富豪だと書かれていた。攻撃を実行したのはサラフ主義者・ワッハーブ派武装集団、アンサール・アル・シャリアだと言われている。
 2013年2月1日、ヒラリー・クリントン国務長官を退任しているが、ベンガジ事件の引責辞任との見方が強い。

(参考)
見過ごせない軍事介入――リビア攻撃とドイツ(1) 2011年3月28日
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2011/0328.html

リビア攻撃は2001年から計画されていた
https://www.youtube.com/watch?v=FdzgsPO_k0c

リビア戦争の実態 2011年8月10日チエリ・メッサン
https://www.youtube.com/watch?v=fnfHxmGg9ug&list=PL0CA896C214AF463C

リビアの内戦とは何だったのか。
http://fujifujinovember.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-2591.html

カダフィに敬意を表するデモ2011年10月28日パリ
https://www.youtube.com/watch?v=6NBqg8fgIDs

カダフィ大佐の金塊」はどこに消えた?ヒラリーの私用メールに極秘メモ
http://www.mag2.com/p/money/7124