金融とは何のためにあるのか?

 リーマンショックで各大学が購入していた仕組み債で巨額損を計上した。早稲田は0円だったが、慶応ら有名大学は数百億円の損失となった。公益法人が「投機」行為を行う事は許されないはずである。大学側は「投機」ではなくて「預金」の類と思っていたのだろうが、元本保証がない金融商品購入はすべからく「投機」だと考えるべきだ。
 AIJもドル建て金融商品で損失を出して破綻した。年金資金運用団体は200程度あり、内100は仕組み債等の含み損を計上できずにいるという。金融庁が厳格な会計基準適用を求めたら破綻する団体が多数出るのではなかろうか。暗殺と思われる金融大臣の死は仕組み債会計基準を巡るものではなかったのではなかろうか。なぜなら、CDOとよばれるMBSを基礎とした金融商品が「流動性を失い」実質的には無価値になっている事で、米国のドル基軸通貨体制は危機を迎えているからだ。FRBMBSを買い上げ続けなければ、金融機関の巨額損失が露見して金融恐慌が顕在化する。FRBMBSを買い上げ続けて、ドルの希釈化を続ければ、原産国がドルを見放して、ドルの基軸通貨体制が終わる。「ドルの基軸通貨特権」こそが、米国の世界覇権の力の源泉なのである。ドルが基軸通貨で無くなることは、米国の世界覇権の終わりであり、日本国が米国から独立を達成するには、この機会を逃してはならない。

 英米の国体は根源的には「海賊国家」である。海洋覇権は海賊的交易によって培われた。富の簒奪による極端な富の蓄積が資本主義を培う土壌となった。英国は米国との覇権争いに負けたが、旧英連邦領に富を隠す「宝島」を擁している。
 日本国は富を奪われないように最大限防御を固めなければならない。戦争だけが国防なのではない。富を奪われないように、金融大臣を何人でも人柱にしてでも、防御しなくてはならない。なぜなら、富を奪い尽くされた後に、貸借関係を精算するための巨大戦争がやってくる。

 財やサービスを提供する設備投資をするためには資本が必要である。昔は複数人で出資する無尽講があったし、今でもあるにはあるが、資本は一般的に銀行から融通する形を取る。本来、金融とはこの銀行貸付を意味する。金を融通するわけだ。昨今の「金融」は投機行為をも内包することになっている。短期間で金融商品を売買することは、実質的には上がるか下がるかに賭ける丁半博打であって、賭博でしかない。ETFにしろREITにしろ、金融商品の購入ではあるが、基礎となっている金融行為との連関は薄弱なものである。日銀は金融緩和と称してCPや社債に留まらず、ETFREITまで購入している。それらの金融商品が大幅に毀損した場合の損失は、日銀が負うことになる。日銀の資産が劣化すれば、通貨の信任も低下する。
 財やサービスを提供するため、つまり実体経済を支えるために必要だから貨幣があり、銀行がある。その分を超えて賭博行為が横行するようでは、その社会体制の永続は担保されない。賭博行為が膨れ上がれば、収縮過程で巨額の損失が発生する。米国は今その状態にある。最終的に食糧・エネルギー・商品・サービスを提供している国家や組織が力を得ていく事になる。
 だから、金のために金を賭けるような行為は全部禁止すべきなのである。特定の企業を支援したいのであれば、株式を購入するか、社債を購入すれば良い。貸借関係が複雑になる金融商品売買は止めるべきである。宝くじや競馬競輪競艇トトくじパチンコみたいな賭博そのものも禁止すべきである。何の生産性もないのである。国力を賭博に費やせば、生産力を削がれ、品質競争に負けていずれ破綻する。