一億総人民は「はだしのゲン」を読みませう


 私は小学生の頃、「はだしのゲン」を読んだ。しかし、ハードカバーの小説版で、3冊組なのだが、マンガ版でいうところの、3巻目位までしか収録されていなかった。
 同じ頃、地元の市民団体が「はだしのゲン」の実写映画上映会を開催して、そこで映像版の「はだしのゲン」を見た。生々しいことこの上ないのである。家の下敷きになったゲンのお父さんの腕が焼かれていく所などまでも実写で再現していた。但し、これも、被爆直後の辺りまでで話が切れてしまう。
 昨年、ひょんな事から、原作者中沢啓治自身が製作されたドキュメンタリーDVDを見ることができた。中沢氏はあまりメディアには出ないようにしていたそうだが、絵筆を取ることも叶わぬ状態になったので、映像で語るべきことを語りたいという事だった。
 「はだしのゲン」の連載に至るまでの過程や、原爆投下によって人々が負った惨状の描写を、苦情を受けて抑えたという話など、興味深い内容が沢山あった。劇的な内容ではあるが、被曝の状況はほぼ実録だそうである。中沢氏は小学校の校門にあったコンクリート板によって、熱線を浴びずに生き残れたのである。しかも、コンクリート板が倒れて来たが、木が支えになって、隙間が出来て助かったのである。爆心地からかなり近い距離で無傷だったのは、奇跡的な事であった。
 「はだしのゲン」を描こうとした最大の動機は実母が葬儀の際に火葬され、遺骨が殆ど残らなかったのを見て「骨までも持っていくのか」という原爆への憤りが再燃したとの事である。ストロンチウムβ線被曝による影響だと思われる。

 そこで、「はだしのゲン閉架問題が持ち上がったので、マンガを全巻読んでみた。驚いたと同時に、この歳になるまで読んでこなかった事を悔やんだ。但し、中沢氏が言わんとするところは私なりにある程度体得していた。

 最近では東京都で「はだしのゲン」撤去請願が出ている。宮城県では「はだしのゲン」の閲覧状況を各図書館に問い合わせを行っていると報道がされた。日本政府が「はだしのゲン」を封印したいと策謀を巡らせている。
 福島第一原発事故により大量の放射能が放出され、しかも、政府は被曝を推進するような政策と取っている。一方で福島県立医科大学を通じて情報封鎖を行っている。

「癌登録法」が特定秘密保護法の裏で成立しており、引用すると
「既に可決してしまったこの法案では、『一元管理することにより、個人情報の漏洩が懸念されるが、厚生労働省によれば、公務員などが患者の個人情報を漏洩した場合は、以下のような罰則に処する。』として、『全国がん登録の業務に従事する国・独立行政法人国立がん研究センター都道府県の職員等又は2)これらの機関から当該業務の委託を受けた者等が、当該業務に関して知り得た秘密を漏らしたときは、2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処することとする』
となってる。
ABCCや放影研がやってきた被曝による対人影響を隠蔽する法律づけを既に行っている。
 「はだしのゲン」では被曝症状が克明に描かれている。被曝による何らかの症状が気にあなる人は一読を強くお薦めする。
 一方、米国が日本に強要し、日本の外務省が応諾している「集団的自衛権」の法整備に対して、「はだしのゲン」は邪魔な存在であるのは用意に推測できる。戦後の国際秩序は集団的自衛権国際連合に請託することになっているはずである。ブロックごとの集団的自衛権は世界大戦の再来に繋がりかねない。
 「はだしのゲン」では日本が中国と韓国・朝鮮と仲良くすることが「戦争を防ぐ唯一の道」と説いている。

 「はだしのゲン天皇についても厳しい批判を浴びせている。
 私は天皇制は無くすべきだと考えている。最大の問題は「若者が統治機構を客観的に考察」する動機付けを失わせる所にある。天皇という絶対的な存在があることにより、人民に秩序をもたらすために便宜的に存在する統治機構に対して合理的は判断が出来なくなる所に、天皇制度の最大の問題がある。
 天皇制によって破滅的な戦争へ導かれ、ポツダム宣言受諾が遅れ、多く人たちが死んだ。絶対的な神と天皇を定め、戦争遂行の前に人民の権利は省みることなく、兵站を軽んじ従軍の死者の7割は餓死によるものだと言われている。
 今上天皇立憲君主制の枠内で物事考えているのは、戦争体験に起因する所が大きいだろう。次の天皇が同じような思考をする保障はまるでない。仮に天皇が聡明であっても、人民は絶対的存在の天皇を頭の上の重石として置かれて、思想の自由を奪われて、社会は機動性を失うだろう。
 恐らく、今の若年層は天皇制をなんら違和感もなく、素直に受け入れていると思われる。
 手の内明かすようで書くのはためらわれれるが、脱原発(反原発)論者は反天皇制論者ある場合が多い。一般的な人民よりも、統治機構に対する警戒度が違う。つまり、天皇制で洗脳してしまえば、反原発的な思考をする人民を減らすことが出来る。
 今までの歴史的経緯や対米従属構造を見れば、核燃廃絶は人民が希求する最低限実現してしかるべき命題であるのは自明なのだが、そこにすら、想像が及ばない人民で国内は満ち溢れている。
 
 逆に言えば、子供の頃に「はだしのゲン」を読んでしまったら、核燃廃絶闘争へ身を投ずる人民が増大するので、対米従属が第一の統治機構にとっては最大限隠蔽した書籍なのである。

 私の妄想するところによると「アンネの日記」破損事件は「はだしのゲン」撤去問題に対するスピン(あっち向いてホイ)作戦だと思われる。アンネの日記は重要な著作であることは論をまたない。しかし、東日本自体がアウシュビッツ強制収容所となってしまったので、既に囚われの我々人民は「はだしのゲン」を読んで覚醒し、核燃団と闘わなくなてはならないのである。