『光る風』『きりひと讃歌』『はだしのゲン』をつなぐ放射能禍

Takaon2014-06-11

(敬称略)
1.『きりひと讃歌』への表現改変圧力
 私自身は少年期にはあまりマンガを読まなかった。小説は読むには読んだが、記憶があまり残っていない。今にして思えば、シェークスピアや「世界の名著」シリーズの哲学書は読んでおけば良かったと後悔している。私自身には歴史的所産を吸収するだけの知力も根気も無かった。
 中央公論社が「中公愛蔵版」シリーズとして、過去のマンガを再販し、それらを通じていくつかの作品を読んだが、どちらかというと、池田理代子萩尾望都らの少女マンガ系を主に読んだ。遅れて手塚の主要作品を読んだ。『アドルフに告ぐ』や『奇子』が印象に残っている。手塚劇画三部作の一つと評される『きりひと讃歌』も読んだ。奇病と闘う医師や修道女の物語である。
 この『きりひと讃歌』が連載掲載時と単行本時でセリフが差し替えられていた事が報じられた。

  • 転載開始-

○圧力? 手塚治虫作品にもあった漫画と原子力めぐる深い闇
http://dot.asahi.com/wa/2014052800075.html
『初めて掲載された1971年のビッグコミック小学館)誌上では、水の分析過程で「放射能障害」「核物質」という言葉が使われていた。だが単行本になり、版を重ねるうちに、これらの表現が一切消えてしまった。一例を挙げると、「水に微量の放射能」は「水に微量の結晶」に、「核物質などあるはずがない」は「振動する結晶などあるもんか」に変わった。
 病因の記述も、「一種の放射能障害による風土病」が「微量の結晶体の蓄積によってもたらされる骨変形をともなった一種の内分泌障害」に変更されるなど、放射能関連の言葉が計14カ所削除されている。』

○「きりひと讃歌」のモンモウ病の原因(転載)
http://www.asahi-net.or.jp/~hi5k-stu/tezuka/t_shrt06.htm
きりひと讃歌」のモンモウ病は、作品が発表された頃と現在とでは、その原因が違ってきている。

 それでは最初はどのような原因だったのだろうか。引用してみよう。
「木村くんっ あの砂粒に20ミリレムの放射能がっ」
「そんなバカな!
 核物質などあるはずがないだろう?」
「みろ! コンピューターの結果なんだ ケイ質砂岩でわずかなナトリウムとリンを含んでいる…… これが沈殿物の内容なんだが十五、六コのビンを調べたところ………
たった一つにわずかなガドリン石に似た物質を抽出した こいつが放射能を出しているらしい」
(中略)
原子番号は62か!? 82以上の元素でなきゃ放射線は出さんのだろう?」
「ところがそうでもないんだ 放射性元素でもごく例外としてカリウム40とかサマリウム147などは原子番号は小さい」
「するとこいつは放射性元素のひねくれ屋なんだな?」
 これがどのように書きなおされたのだろうか。以下に引用する。
「木村くんっ あの砂粒にプルスを出す結晶体がっ」
「ふざけるなよ
 振動する 結晶など あるもんか!」
「見ろ! コンピューターの結果なんだ ケイ質砂岩でわずかなナトリウムとリンを含んでいる…… これが沈殿物の内容なんだが十五、六コのビンを調べたところ………
たった一つにわずかなガドリン石に似た物質を抽出した こいつがお互いに衝突してプルスを生じるらしい」
(中略)
「そんなものがあの砂粒にまじってるからといって……」
「こいつらはごく微粒子で衝突しあってプルスを出しているらしい そのプルスが細胞に影響する……としたらどうだ」
「それが内分泌腺か何かの組織に刺激をあたえて……」
 「火の鳥・望郷編」や「サイボーグ009・移民編」でもそうだが、マンガの世界では放射能による奇形はタブーなのだろうか。

  • 転載終わり-

2.衝撃作山上たつひこ『光る風』
きりひと讃歌』は小学館ビッグコミック」1970年4月-71年12月に連載された。
同時期に、山上たつひこ『光る風』(1970年)が発表されている。
山上たつひこ来歴Wikipediaより転載
『翌1970年には「週刊少年マガジン」で初期の代表作である『光る風』の連載を開始。当時の社会情勢を巧みに反映させ、軍国主義の台頭とその恐怖を描いた内容は読者に強い衝撃を与えると同時にポリティカル・サスペンスをいち早く手掛けたことによって、高い評価を受けた。』
『山上が小説家への転向を目指したきっかけは、『光る風』連載時、編集者に勝手にネーム(台詞)を書き換えられたことだと言われている。』

  • 転載終わり-

 手塚の『奇子』(1972年)と『きりひと讃歌』を足して、更に過激な設定や演出にしたものが、『光る風』と言える。私は『光る風』は文庫版を読んでいる。『きりひと讃歌』と同じく表現が変えられている可能性があるが、基本的に”放射能”は出てこないが、もはや放射能禍としか言いようもない、奇形や差別が出てくる。更に米軍がカンボジア中性子爆弾を投下するというエピソードも登場する。『光る風』という題名が放射能を想起させる。
 『奇子』や『光る風』は松本清張の『日本の黒い霧』の影響を受けている。『光る風』本編にも『日本の黒い霧』引用文も登場する。管理社会体制描写はジョージ・オーウェル1984年』のようであり、江戸川乱歩の『芋虫』を彷彿とさせる挿話もある。風景描写はつげ義春作品風でもあり、筆致が作風を重々しいものとしている。
 連載終了への圧力があったのではないかと推察されるほどに、終盤の展開は異様に早くなっている。軍国主義体制の恐ろしさは、昔話しのようにも見えるが、今となっては近未来の予測にも見える。
 当作品が他の出版社や作家へ与えた影響は凄まじものがあったであろう。『奇子』は『光る風』が持つ米軍やムラ社会が内包する、オドロオドロしいものを手塚風に再構築したものとも言える。手塚の『ブラックジャック』に山上たつひこの作品である『がきデカ』が登場もする。共鳴するものがあったのだろう。
 『光の風』こそはマンガという媒体を超えて、万人に読み継がれるべき創作物であり、原子力緊急事態宣言発令中である日本においては必読書とも言える。

3.真打ち『はだしのゲン』登場
 Wikipediaより転載
『1972年に『月刊少年ジャンプ』(集英社)の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢の自伝的漫画『おれは見た』を元に、脚色を交えて『週刊少年ジャンプ』(集英社)1973年25号から連載が始まった』転載終わり
 今や荒唐無稽色全開の『週刊少年ジャンプ』に『はだしのゲン』が連載されていた事自体が衝撃的な事実である。集英社小学館を抱える一ツ橋グループによる度量の高さが社会問題を正面から描いた作品を世に生み出す事になったのだと思われる。
 『光る風』や『きりひと讃歌』の登場、当時の反米の気運や階級闘争史観に基づいた白土三平の『忍者武芸帳赤目』や『カムイ伝』の存在も一定の影響を持っていたのであろう。
(参考)一億総人民は「はだしのゲン」を読みませう
http://ameblo.jp/takaomorimoto/entry-11794515804.html

 先鋭的な表現を行った者が、道を切り開き、後進がそれに続くのである。相互作用によって、読み手も鍛錬され、作品を通じて作者の意図を汲み取っていく。社会変革は創作分野も重要な役割を担っている。

4.反動がやってきた。
 『サルでも描けるマンガ教室』に「プルトニウムふりかけ」というのが登場する。要望があったら極力それに応えるのが作家としての指名という主旨なのだが、それは「サルになってマンガを描け」と言っているのと大差ない。自発的かつ自らが真に伝えたい思いや事象があって作品足りえるのであって、他者からの指図によってマンガを描くということは、マンガがプロパガンダ媒体へ堕落する事を意味する。
 『ブラックジャックによろしく』というマンガがある。無料で公開されている。1巻目は救急治療について書かれており、実に意義深いのであるが、一方では「抗がん剤を肯定的に描き」「精神薬物療法を医療の進歩」としている。
 昨今は両方共、船瀬俊介氏らに害悪が指摘されている。本当に必要な西洋医療は「外科手術」「感染症に対する抗生物質投与」の2つが主であると内海聡医師は指摘している。
 極めつけは『いちえふ』である。
ロシアの声によると
福島第1原発での4時間労働は死刑宣告に等しい
http://japanese.ruvr.ru/2013_10_14/122857838/
『福島第1岸発での作業は、4時間働くと致死量の放射線を浴びる計算となり健康上高い確立でリスクをもたらすことから、現地の状況は困難かつ複雑なものとなっている。』
となっている。

 高い線量を浴びる福島第一原発での作業員による実録だというのが『いちえふ』の売りなのだが、場所によってはまだまだ高い線量の場所がある。
 作業員不足をマンガによる誘導で補おうというのが主旨なのだろう。騙されてはならない。
(参考)「美味しんぼ」vs「いちえふ」
http://d.hatena.ne.jp/Takaon/20140503

 統治機構による『美味しんぼ』の鼻血表現に対する過剰反応の裏には、白血病の多発がある。
 即物的に考えて、『美味しんぼ』や『はだしのゲン』と読むのと『いちえふ』を読むのとどちらが役に立つかということである。創作物ゆえに単に役立つ立たないで考えるのは狭量とも言えるが、単純化して考えれば功罪について判断するのは容易である。


(付録)
〜★★福島原発事故以降に白血病になった有名人の一部★★〜

レスリング(銀メダル)・長島和幸(30)2011年9月「急性骨髄性白血病
元野球投手・森田斌(76) 2011年6月「急性白血病」他界
釣り専門誌コラムニスト・阿部洋人(24)2011年11月「急性リンパ性白血病」他界
フジアナ・大塚範一(64) 2011年11月「急性リンパ性白血病
作曲家・桜田誠一(76) 2012年「急性白血病」他界
歌舞伎・市川団十郎(66) 2013年「白血病再発」他界
成城大教授・小林義武(70)2013年「急性白血病」他界
東京女子大名誉教授・村松安子(76)2013年「急性白血病」他界
NHK〔高校講座〕フロアディレクター・森川健太(33)2013年3月「急性白血病」他界
歌手・須藤薫(58)2013年3月「骨髄異形成症候群⇒急性骨髄性白血病の前兆」他界
国立民族学博物館元館長・佐々木高明(83) 2013年4月「急性骨髄性白血病」他界
富山県立山町議・石川孝一(64) 2013年5月「急性骨髄性白血病」他界
プロ野球ドラフト候補・真弓竜一外野手(21)2013年5月「急性リンパ性白血病
世界的バイオリニスト・潮田益子さん(71)2013年5月「白血病」他界
産経新聞社前社長)住田良能氏(68)2013年6月「多発性骨髄腫」他界
THE GOOD-BYE加賀八郎氏(55)〔2010年10月〜悪化〕2013年7月「多発性骨髄腫」他界
川崎汽船専務・毛利盟氏(80) 2013年7月不応性貧血(骨髄異形成症候群)〔前白血病〕他界
西日本銀行専務・村上敏行氏(81) 2013年7月「多発性骨髄炎」他界
京都ノートルダム女子大副学長・蒔苗暢夫氏(72) 2013年7月「多発性骨髄腫」他界
和歌山県太地町漁協組合長・水谷洋一氏(79)2013年7月「急性骨髄性白血病」他界
特別競輪選手〔埼玉・57期・S2〕・森田進氏(47)2013年8月「急性白血病」他界
愛知元幡豆町長・深谷元二氏(76)2013年10月「白血病」他界
奈良元県自治連合会長等・籔野昌治氏(82)2013年10月「多発性骨髄腫」他界
三井物産副社長・内海昭氏(84)2013年10月「白血病」他界
写真家・外山ひとみさん(61)2013年8月「急性骨髄性白血病
元旧上石津町議会議長・坂口治男氏(79)2013年11月骨髄低機能(骨髄異形成症候群)他界
小室哲哉さんの父、小室修一さんが急性骨髄性白血病による心不全で他界