イスラム国を考える

 ネットの反応が気になったので、イスラム国について少し考えてみる。
中田考氏の考え方の中心にあるのは「スンニ派シーア派の争いを止める」ことにある。スンニ派シーア派に対して優勢な状態が維持できれば戦わない、と宣言している。
であるので、スンニ派優勢の状態で停戦を実現させる、のが中田氏の狙いである。
(であるから、中田氏はシーア派のイランから敵視されている)
イスラム国(ISIS)は国境を取っ払いカリフ制を用いて、中東を統一させることを目的に掲げている。
元々オスマン帝国の版図だった中東にイギリスなどの列強が介入して、国境を用いて分断した。
イギリスやアメリカの影響を排除して、中東にEUのような社会主義国家建設を目指しているわけだ。
この事自体は「歴史的、宗教的必然」とも言える。
ISは中田氏から思想的影響を受けているという人までいる。(要検証)
中田氏はムジャヒディンとして学生を斡旋したわけではない。数学者として斡旋したのである。
ISは本気で国を運営することを考えているので、学者を欲しているということである。

 公安による立件過程にある案件であるが、茶化すような記事も出ている。通例、マズゴミ動員、世論誘導までして捜査に入った案件で、ウヤムヤになったのは殆どないと思う。関係者は覚悟の上で対応するべきだと思う。
 日本は民主主義国家ではない。日本は米国の植民地であり、米国の意思が憲法よりも優先される。


○個人的な宗教に対する考え方
 私個人は無宗教であり、アニメの見過ぎによって、寓話でお腹がいっぱいなのだ。また、私自身に宗教を根源的に理解する胆力も能力もない。アニメというとバカにする人も多いと思うが、実は近代文学や近代・現代哲学をふんだんに用いたり、物語構築に流用している事例が多々あり、侮りがたい成熟度に達している。
 であるから、「イエスキリスト様萌え萌え」演出や寓話で人心を掌握しているキリスト教を見ていると、「あー、世界観設定が甘いね」とか感じてしまう。
宗教は法治が効かない時代における、一種の知恵だったのだとは思う。
極論すれば、近代は宗教の否定を伴って成立しているのであって、今更宗教にハマってどうするの?というのが、私の感想である。

 ユダヤ・キリスト・イスラムも根っこは一種であるが、後発のイスラム教が比較的近代化されている。偶像廃止は合理的だ。日本でキリスト教が伝播しなかった最大の理由はイエスキリストが白人だったからだろう。あれをジャパナイズして、親しみやすいものにすれば、一定の勢力たり得たかもしれない。日本のキリスト教徒は精々0.5%だと言われている。

 15世紀頃にイタリアで資本蓄積により商業が発達し簿記が生まれた。なぜ資本蓄積が起きたかといえば、キリスト教国によるイベリア半島の再征服活動であるレコンキスタの通り道となって、お金が落ちたからである。
 はっきりいってキリスト教は病気である。英国や米国の帝国主義の背景にはキリスト教がある。ユダヤ教原理主義的で残忍なので、やり過ぎを諌めるためにキリスト教が生まれたが、時を経て変質してしまったのだろう。
 ナチズムの源泉を「キリスト教的厳格さ」によるものとして告発した「白いリボン」というドイツ映画がある。教会の聖歌隊の少年少女が村内の不貞・不逞の輩を必殺仕事人の如く成敗していくという話である。
 ユダヤキリスト教は異教徒を認めないが、イスラム教は異教徒でも納税か労働提供すれば存在を認められる。この差は大きい。
 アーノルド・J・トインビーの著作から読み取れるのは、1960年代頃から米国はイスラム教敵視政策を行ってきたということである。周到な準備を行って中東に介入したのだろうが、ホメイニ革命を産み、世界のイスラムを敵に回し、挙句の果てにはイスラム国を産むこととなった。

 だから、宗教は嫌なのである。私にしてみれば、平和が一番というよりも、面倒なことはごめんなのである。

(参考)あらためて、カリフ制って何 ?
http://provai.ciao.jp/pensare/caliph/
イスラム国」行きを志願した北大生の素顔に迫る――「研究者として渡ってほしかった」岩上安身によるイスラム法学者中田考氏緊急インタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/180682
ISは、学者や研究者を求めています。本人たちは大まじめに国を作っているつもりですから